生涯教育原論 12/11 講義ノート、資料 その1
第11回
「生涯」の原理論的理解(2)、アイデンティティと時代、個人と社会、主観と客観、自由と規律、偶然と必然、具体と抽象、等々の弁証法
75.弁証法(ディアレクティク)は、矛盾を契機にした発展という動態・運動の認識論
固定した、動かない、死んだ事物の認識ではなく、
生成変化する生きた動きを認識する。
弁証法(ディアレクティク)は、問答、議論、対話(ダイアローグ)に由来し、共同学習、サークルを考察するためには重要な認識論である。
また、サークルで重要な「自由」には、物理的にも精神的にも「動き」が必須である。
75-1.自由な動きと揺れ
メンバーの関わり方(コミットメント)は積極的~消極的など様々に違う。
やる気がない、波がある、他のサークルとかけ持ちで忙しい、サークルとは違う悩みで関われない、人間関係、、、
活動の強弱で、メンバーに差が出る。
リーダー(メンバーの一人)は、それぞれのあり方をうまく合成できるか?
それがリーダーとしての力量、リーダーシップになる。
そして、合成に関しては「一即多、多即一」の弁証法が、有効な認識を得させると言える。
76.専門と教養
個々のメンバーのあり方は、それぞれの長所となる。少なくとも潜在力がある。
例えば、Y君は、Aのサークルでは参加が弱いが、Bのサークルでは中心メンバーである場合、サークルAがイベントを行う時に、Y君を足がかりに、サークルBを切り口に宣伝を広げられる可能性がある。
個々の長所を一般化、抽象化すると専門になる。様々な専門を統合(合成)できれば組織力を増強できる。
様々な専門を統合するためには、その基盤が重要であり、そこに幅広い教養(リベラル・アーツ)が求められる。教養は、高校までの基礎教育(識字)、総合的学習、受験学力などに基づき学問・研究の段階に進む中で積み上げ、洗練させていく。その中で、広く公共的な課題も考える(ノブレス・オブリージュに通じる)。平和、安全、人権などは公共的な課題であり、誰もが考えるべきで、人任せにしてはならない。
専門職として社会教育主事、図書館司書、博物館学芸員などは、当然、これをわきまえなければならない。
77.自由のための闘い
抑圧からの解放
アイデンティティと時代、個人と社会の弁証法
自由は自ら得るから自由であり、他から与えられるものは、本質的に自由には値しない。
自由と気ままは違う。これはリベラル・アーツと「半教養」、「第二芸術」の違いに対応している。
ゲーテの箴言
「自由と存在は、日々それを新たに勝ち取る者のみが、受けるに値する」
『ファウスト』11575(ネットより)
英訳:He only earns his freedom and existence, Who daily conquers them anew.
(Act V Scene I: Open Country)
マルクスは社会的抑圧を、フロイトは心理的抑圧を研究し、それからの解放・快癒を目指した。
フランクフルト学派(ホルクハイマー、マルクーゼ、フロムたち)はマルクスとフロイトの統合に努めた。
それは、エリクソンがフロイトの心理性的発達論に心理社会的発達論を加えたことに類比できる。
私は前者を学び、後者に進んだ。
グローバリゼーションにおいて、地球的規模の社会がダイレクトに内心に影響する。グローバルな高度情報システム(インターネット)を通して、世界が内面を刺激・作用・操作する。マルクスとフロイトの統合は、現代では高レベルにおいて、取り組まねばならない。それは、メディア・リテラシーの課題とも言える。
78.主観と客観、偶然と必然、具体と抽象の弁証法
外的拡張と内的充実の統合的推進
グローバルな社会が内心にダイレクトに作用するという状況において、自己形成が他者との出会いを通して進む。
自己の主観(他者にとっては客観)と他者の主観(自己にとっては客観)が交錯する。
出会いは偶然だが、いくつもの偶然を経て、出逢うべき者と出逢えたら、それは必然と言える(のではないだろうか)。
古来から「赤い糸」で結ばれているという喩えは、その表現と言える。
これを一般化、抽象化すると、偶然に遭遇したクライシスやチャレンジに具体的に対応する中で、様々な試行錯誤を通して、自分の生きるべき生き方に到るとなる。
いくつもの具体的な偶然を貫く必然、必然に組み込まれる偶然。必然には、その通りになるという意味で法則性があり、法則とは抽象的である。
しかし、必然を、必然ではなくしようと努力する人間もいることは確かである。必然は法則どころか、運命だと諦めて受け入れる者だけではない。それを悪あがきと見るか、それとも、そこに人間としての存在の核心、実存を見出すか。
現状では法則=必然であっても、それを対象化し、変革するところに、人間の創造性、主体性がある。世界は無限であり、限界=「外」がなければ、法則=必然による限界もないのではないか。
「世界」の外的な拡張が、また同時に、個人の内的な充実でもある。弁証法が発展の認識論であれば、それを以て外的拡張と内的充実を統合的に推し進められるのではないか?
偶然と必然、具体と抽象の弁証法などと「弁証法」を使えば分かる(分かった気になる)が、それを実践するのは極めて困難。
たとえ、抽象的に分かっても、具体的に現状の限界(例えば様々な差別)を見れば、それを変革し、新たな世界を創造するという努力は無駄になる。しかし、無駄と承知で、なお止められないという者もおり、そのような生き方も、必然の一つではないか・
78-1.偶然と必然の交錯における意味・価値ある出逢い
意味・価値(以下、意味で一括)ある人と人の出逢いは、偶然と必然が交錯したところで起きる。
ただし、出逢いの後の進展如何で、その意味がどのようになるか分からない。つまり、意味ある出逢いには、クライシス(危機)がつきまとう。それを機会(チャンス)とするところに、力量(人間的強さ)が求められる。
社会教育では「出会い、触れあい、学びあい」が呼びかけられるが(私は秋田の社会教育主事講習で知った)、ここで使う「出逢い」は、その意味により重みを加えるためである。
78-2.「一期一会」の伝統の発展として
「一期一会」は、茶道で、茶会は、毎回、一生に一度だという思いをこめて、主客とも誠心誠意、真剣に行うべきだという意味で使われ、それが一般化され、一生に一度しかない出会いや機会をも意味するようになった。
いつ「出逢い」があるか分からず、すれちがいとなるかもしれず、日ごろから緊張感を保つことが重要である。その中で「実践感覚」を活用する。
しかし、それが過度・過敏になり、神経症的になってはならない。緊張の中に緩和を交える余裕(ゆとり)が求められる。これもまた「人間的強さ」となる。
なお、類似として、西洋で“幸運の神(カイロス、Caerus、Kairos)には前髪しかない”という感覚がある。
78-3.「男子、三日会わざれば、刮目して見よ。」
三日も経てば、どのように向上しているか分からないから、目を見開いてしっかりと相対すべしという意味である。
これは中国の「士、別れて三日なれば、刮目して相待すべし。」(「三国志演義」より)に由来する日本の格言。
封建的男尊女卑で「士」は「男子」であり、それ故、現代ではジェンダー・フリーで応用すべきである。
78-4.ゼミでの活用
これらは、週一回のゼミなどで活用でき、かつ、すべきである。「別れて六日」経てば、どのように向上しているか?! 「三日」の倍である。
79.時空間論的な展開
アイデンティティと時代、個人と社会の抽象化を、時空間論的に具体化しつつ原理論的に考察を深める。
個人の自由な発達と自由な社会の発展の統合(アソシエーション)は、個人のライフサイクル(通時)と諸個人のライフサイクルの(共時)の時空間論的な統合でもある。
無限に拡大する世界・宇宙の内に人間が存在し、そのような人間が世界・宇宙を「こうだ」と捉え、そのように命名する。
宇宙の「宇」は空間、「宙」は時間を指し、『千字文』第2「宇宙洪荒」の李注では「宇というのは、天が万物におおいかぶさっている形が、家の屋根のようなので、それを宇(屋根の意)と名付けたのである。宙というのは、過去・現在・未来(永久の時間)をいう」と述べられている*1。
79-1.宇宙(時空間)と美学
人間と世界・宇宙が統合的に存在するという考え方は、ギリシア語のコスモス(cosmos)に見出せる。コスモスは秩序と調和の体系としての宇宙である。
そこには美的な観点もある。
コスモスは花も指し、その花言葉は、
「乙女の真心」「乙女の愛情」
(ピンク)「少女の純潔」
(赤)「調和」
(白)「美麗」「純潔」「優美」
さらに、コスメティック(英語のcosmetic、フランス語のcosmetique)は、ギリシャ語のコスメティコス、そしてコスモスが語源である。
これは「万物照応(correspondence)」の観点にも通じる
79-2.宇宙(時空間)と感覚、感性、感受性
パスカルは『パンセ』(断章七二)で、次のように述べている。
「このように自分を眺める者は、自分自身に戦慄するだろう。そして、自分が自然の与えるまとまりにあって、無限大と虚無という二つの深淵の中間に支えられているのを見、その不可思議に恐れおののくだろう。私は思う。人の好奇心は驚嘆に変わり、もはやそれらを僭越な心で探求するよりは、黙して眺めようという気持ちになると。そもそも、人間とは自然においていかなるものなのだろうか。無限に比しては虚無、虚無に比しては万有、虚無と万有の中間である。人間は二つの窮極を知ることから無限に遠く離れており、事物の窮極もその原理も計り知れない秘密の内に固く隠されている。人間は自分がそこから引き出されてきた虚無も、またそこに呑み込まれていく無限も、等しくいずれも見ることができない。」
これは、ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』第四部第三章三「すべての力の分解が、結局は統一に達することを知った観想家は、無限の恍惚感にひたる。すべてがすべてに作用するのである。」(前掲、佐藤訳、第四巻、九九頁)に通じる。
79-3.無限大と無限小(虚無)の「中間」、「媒介」
三木は『パスカルにおける人間の研究』(岩波文庫、pp.14-15)において、「無限に比しては虚無であり、虚無に比しては全体である。それは無と全とのあいだの中間者である」と訳し、「パスカルのこの観察は感傷的ではなくて根本的であり、詠嘆的でなくて原理的である」と総括し、この「中間的存在」たる人間観は、デカルトの《medium》に通じると注記している*1。
mediumは、ラテン語では発音はメディウムで、英語ではミディアムであり、複数形がmedia(メディア)である。
三木は、人間とは「根本的」、「原理的」に中間的であち、かつ媒介的な存在であると論じている。
また、三木は『パンセ』断章二〇六の「無限なる空間の永遠の沈黙は私を恐れしめる」を引用し、これは「心理学上の概念ではなく、かえって人間の存在論的なる原本的規定」であり、「人間的存在の状態性」であると論じる*2。
さらに、三木は、それは「パスカルの光彩ある言葉を用いるならば」、「人間の条件(condition)」であり、また「世界における我々の『存在の仕方』、あるいは我々が世界に『出逢う仕方』に外ならない」と論じる*3。
「我々は世界を感じるのに即して自己を感ずる」、「世界を所有することはやがて自己を所有することである」*4は、世界と自己の統合であり、さらに統御(コントロール)、自主管理(セルフ・コントロール)である。
それは、フレイレの「世界」の「命名」に通じる。
79-4.参考:デカルトとパスカル
「われ考う、故にわれ在り(je pense, donc je suis)」と「考える葦(roseau pensant)」
デカルト(1596年-1650年)は、懐疑を追究し、最終的に疑い得ぬものを考える自己とした。これはソクラテスの問答法や「汝自身を知れ」の警句の応用と言えるが、それをデカルトは『方法序説』で「われ考う、故にわれ在り(je pense, donc je suis)」と概括した*5。
これに比肩するパスカル(1623-62年))の箴言は「考える葦(roseau pensant)」である(『パンセ』断章347)。
いずれも動詞のpenserが使われており、人間が考えること基軸にしている。このように両者には確かに共通性があるが、デカルトが「われ在り」と宣言することに対して、パスカルは「葦」にすぎないと自覚した上で考えることの意義を提起している。
デカルトを理性的科学的思考として評価することが多いが、しかし実際では、パスカルが数学や物理学で卓越した業績をあげ(現在の気圧の単位「ヘクトパスカル」はその一つ)、デカルトは全く及ばない。
パスカルは『パンセ』などでキリスト教信仰(しかも主流の教権体制的ではない信仰)を論じたため、それが理性的科学的な思考に関して影響を及ぼしているが、この点では、先述の武谷の「亜流」という指摘が重要。
なお、スピノザ(1632-77年)は『エチカ』(死後1677年発表)で第一部の神の考察から始めて第五部では知性の能力、人間の自由へと議論を展開している。デカルトとパスカルのスピノザ的な統合と言えるが、私はパスカルを凌いでいないと評価する。
80.美学、感受性、感動の対極
「無感動」を含む「三無主義」の存在論的根本的な問題
1970年代の青年をめぐる問題状況-その1
「三無主義」(『アイデンティティと時代』p.43で言及)以前、アパシー(無関心)が指
アパシーに「無感動」(それに無責任)が加わった点について、感動が無いことの重大性を考えるべきである。
また「無責任」は、高度成長の1960年代、植木等とクレイジー・キャッツが流行させた「無責任」(ヒット曲の代表は「スーダラ節」リリースは1961年)
大人は、これを少し客観的に受けとめられるが、子供は直接影響される。
そのような子供(仮に12-15歳の中学生)が、高度経済成長の時流に乗り、6年後の1967年には、18-21歳の大学生になり、学生運動で「大学解体」、「自己否定」を叫ぶが、しかし、それを貫き通して学生の立場を捨てた者は小数(「ドブチュー」はその一人)だった。
私は矛盾や躊躇(学生であることを辞めるの恐れは確かにあった)を感じながら、自分で高校生たちに語ったことの責任を負うべく、セツルメントから地域の民青、共産党へと進んだ。
富永教員に「卒論は指導しない(事実上、卒業させない)」と言われたこともあり、中退について「魔女(Mj)」さんに相談したこともある(これは『アイデンティティと時代』には書いてない)。それに対して「魔女」さんは、自分に体験があるためだろう(三つの大学で除籍=放校)、「卒業すべきだ」と応えた。だからと言って、彼女は、活動において、私への要求を軽減しなかった。
活動と勉学の両立にも悩んでいたから、私=ブクは恨めしかったが、しかし、踏ん張ろうと気を取り直した。
なお、彼女はもっと深いところで配慮していたと推測できるが、これはゼミ(4年次)で述べる。
81.1970年代の青年をめぐる問題状況-その2
「『甘え』の構造」(土居健郎)
(『アイデンティティと時代』p.54で言及)
学生時代は土居の指摘に反発を覚えたが、次第に、確かにその性格はあると受けとめるようになった。
「おかしなパン屋」と『資本論』(同前、pp.71ff)は、その一例。
さらに、以下も。
ゴリの仲間たち(チンピラやねずみ男)の卑しさ(同前、pp.68ff)
真面目なイエスマンの開票前の投票箱の開封(同前、pp.118ff)
その上で、土居は大学の教員(自分自身も含む)における「甘え」を指摘していないことは、まことに不十分で、やはり「甘え」があると判断する。
82.学生の「甘え」に相関・呼応した知の退廃、欺瞞、傲慢、その無神経
82-1.高橋教員-「カウンター・カルチャー」
体制のエリートを育成するという意味で「正統的」な最高学府の頂点に位置する大学で、強力な「文化資本」を有した者が、「カウンター・カルチャー」を論じる(『アイデンティティと時代』p.112)。
『アイデンティティと時代』では、根拠が薄弱と判断して書かなかったが、高橋は東大教員の肩書きでありながら、学生運動、新左翼、全共闘、カウンター・カルチャーという反体制に理解を示すということで、銀座や青山などのクラブで人気を得ていたという。私は、下町のはずれを志向していたため、この伝聞(ディスクール)を検証する機会を得なかった(その気にならなかった)が、文化資本の実態を把握する上で、もっと情報を得るべきであったと後悔する。
ただし、この伝聞は、全共闘に親近感のある学生と民青・共産党の学生(いずれも文学部)から得ており、また、キャンパスにおける自然な会話であり、高橋を意図的に誹謗するという脈絡ではなかった。口調や表情は、義憤というより、「要領よくやっているものだ」という感じであった。
82-2.見田教員-その1-「脱学校」
学歴主義の頂点で「脱学校」(イリイチなど)を講義し、また議論する(『アイデンティティと時代』p.115、pp.127ff)。
さらに、それを意識し、自己批判を見せびらかし、アリバイ作りをしながら講義・議論するという、二重の欺瞞、偽善であり、それは、学校のヒエラルキー、ピラミッドの最高位で学校を「批判」し、その下の「批判」を封じるという、まことにずる賢い欺瞞、偽善である。
これは「ノブレス・オブリージュ」に似て非なる似非(エセ)ノブレス・オブリージュと言える。
82-3.見田教員-その2-「コミューン」
学生運動では民青・共産党も新左翼・全共闘も、思想的イデオロギー的政治的に「コミュニズム(共産主義)」が大きな位置を占めていた。これに対して、見田は「コミューン」を論じると見せていた。それは政治や学生運動の現実的問題に関わらなくてもすむことができるものであった。
彼は講義で「ユートピア」を取りあげ、テキストはマリー・ベルネリ/手塚宏一、広河隆一共訳『ユートピアの思想史-ユートピア志向の歴史的研究』(太平出版社、1972年)であった。より鮮明に現実的問題からの遊離が現れていた。
このような授業は、1969年の東大安田講堂「落城」後、学生運動が退潮する一方、過激な内ゲバが続発する状況において、それから距離を置けるが、しかし「ひとり風魔だ」(『アイデンティティと時代』p.110、p.159)の気概はなく、群れを求め、そこに癒しや安心を得ようとする者に適合していた。特に、全共闘は、その名の通り、一定の立場、それを実践する組織を選び、賭けるというのではなく、全共闘という大勢の中で、実存的な決断を回避しながら、鋭い体制批判(大学解体、自己否定など)を叫べたので、そのような者にとって、「受け皿」となった。
独立独歩の気概がなく、群れの中で癒しや安心を得ようとする者の集まりだからこそ、その中で見田は、彼が意図したか否かに関わらず、教祖的な存在に祭り上げられた。
私は、彼は学者の父(石介、唯物論哲学)に素直に育成された、学者二世のボンボンで、自らを教祖にしようという野心はなかったと分析する。それと同時に、取り巻きたちのグループ・ダイナミクスにより自分が教祖になっているという自己分析、自省もできなかったと見なす。
ボンボンであったことは、彼は自分で創造できるペンネームにまで「悠介」と、父「石介」の「介」を使用していることろに現象している。彼のエディプス・コンプレクスはどうなのかと考えてしまう。
このような観察・思索の中で、「ユートピア」について考え、以下の文献を勉強し、現在でも参考にしている。
トマス・モア 『ユートピア』(版は複数)
ヘルベルト・マルクーゼ著/清水多吉訳『ユートピアの終焉-過剰・抑圧・暴力』合同出版、1968年
カール・マンハイム/鈴木二郎訳『イデオロギーとユートピア』未来社、1968年)を読み、
82-4.「コミューン」を論じる見田ゼミ(グループ)の力学(ダイナミクス)
教員がこの水準だから、群れる学生が、自ら論じる「コミューン」についての自省もなかった、或いは弱かったのは、当然の帰結である。
見田石介・宗介(悠介)という親子で大学教授という紛れもない事実は、宗(悠)介が文化資本の相続人、階級の文化的再生産の体現者であったことを示している。しかし、見田ゼミやその周辺で、この点が取りあげられたことは聞かず、むしろ「父親も立派な学者だ」と肯定的に語られていた。私はマージナルな位置で腑に落ちなかったが、教祖と信奉者(あたかも男子院生は側近、女子院生は女官の如し)の言いしれぬ迫力に恐れをなして、口にしなかった。
見田ゼミは人気があり、ゼミとは言え、当時は二十名以上であった。このような集団の構成は、教祖を中心に側近が取り巻き、それに女官が控え、その外側で見とれる信者、そして、さらに外側のマージナル(周辺)で眺める者(私も含む)という同心円を形作っていた。このような集団で「コミューン」が議論されていたことは荒唐無稽であり、しかも、それが学歴主義の頂上であったことから、まことに知の退廃を思わされる。
次に、グループ・ダイナミクス(クルト・レヴィン)や象徴的相互作用論(ジョージ・ハーバート・ミードやハーバート・ジョージ・ブルーマー)を応用して分析すると、その集団心理において、受講生、ゼミ生に受け、期待や願望に応えつつ、引き込み、依存させるという力学が析出できる。
これに全共闘の弱まりがもたらす挫折感という神経症的な要素が加わり、見田ゼミの「コミューン」はカルトの妖しさに通じるのではないかと感じた。
学生運動のセクトの一部である連合赤軍とオウム真理教を関連づける議論は多い。見田ゼミはそこまで至っていなかった-善し悪しは別にして、行き着く気概はなかった-が、ゼミというグループの心理的力学(ダイナミクス)には、その傾向があったと言える。
82-5.参考1:全共闘・学生運動と文化大革命
「大学解体」、「自己否定」などと一九六〇年代後半、学生運動(特に新左翼、全共闘)で呼号されていた。しかし、実際に大学を離れる教員は稀で、学生は少なかった(ドブチューは稀な一人)。
たとえ運動の昂揚の中で熱いパトスが生成していたとしても、これまで述べてきたとおり、そこには荒唐無稽があった。
そして、中国では幾層倍の規模と激烈さで、それが現象していた。文化大革命(先述)の名で実質的に大学の機能が停止していた。
大規模で巧妙なプロパガンダで飾り立てていたが、実態は愚民と「暴民」(魯迅など)の権力闘争、政治抗争と言える。
内外のこのような状況において、まことに庄司が指摘したとおり「馬鹿馬鹿しさのまっただ中で犬死にしない」(先述)ことが大切であった。
学生運動と文革の関連は、以下の二つでも見出せる。
日本では、60年代の学生運動の世代、「団塊の世代」が経済成長を推し進めた。
中国では、文革世代が今の中国の経済成長をもたらした。
中国の文革では紅衛兵の軍服スタイルが流行し(適度にヨレヨレであると革命的=カッコよいと見られた)、日本の学生運動ではヘルメット、ヤッケ、ジーンズ(やはり適度にヨレヨレ)が「ゲバスタイル」と見られた。ただし「ゲバスタイル」は、当時は、私の周囲では、聞いたことがなく、後の造語と思われる。
82-6.参考2:三島と全共闘(再論)
先述したとおり、三島由紀夫は全共闘に期待し、だからこそ「討論(対話の一形態)」を行ったが(前掲『三島由紀夫vs東大全共闘―美と共同体と東大闘争―』)、しかし、全共闘は応えられなかった。見田ゼミから、その理由が分かる。
口先では「大学解体」、「自己否定」、そして「コミューン」を言いながら、前述のような見田を教祖とした。これでは、天皇を崇敬する三島の方が遙かに次元が高い。それとともに、三島が割腹自決に進んだわけも分かる。このようなレベルの全共闘に期待したのだから、絶望して当然であり、絶望とはまことに「死に至る病」(キェルケゴール)である。
82-7.参考3:
文学部社会学科のその後
82-7-1.「慰安婦」問題に絡まる日本「フェミニズムの乱流」
フェミニズムの思潮や運動の国際的な高揚において「慰安婦」がカムアウト(勇気を以て表明)したが、日本「フェミニズム」の一部が「慰安婦」をめぐる議論を混乱させ、秦郁彦は『慰安婦と戦場の性』で「フェミニズムの乱流」と指摘した*1。即ち、日本ではフェミニズムを標榜する者により「慰安婦」に関する理解や認識が混乱させられたのである。ただし、これと女性解放の実践に身を置いて努力する者とは明確に識別されねばならない。
この「乱流」には、政治外交の悪用に加えて、先述したヴェブレン=ブルデュの「誇示的消費」の性質もあり、謂わばあだ花の如き役割を演じた。それは、政治・外交の悪用や歴史の美化などとは異なる角度から「慰安婦」の捉え方を歪め、妨げた。これは、女性の立場から「慰安婦」の問題を鋭く追及するという誇示的な言辞でカモフラージュされていたが、十数年を経て露わになった。その典型例が上野千鶴子である。彼女は『スカートの下の劇場―ひとはどうしてパンティにこだわるのか―』(河出書房新社、一九八九年)や『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平―』(岩波書店、一九九〇年)に見られるとおり、扇情的な表現を利用して「マルクス主義フェミニズム」の「旗手」の役割を演じた*2。それはバブルが最高潮に達した時流に乗り、搾取や支配の打破、労働者の解放、人類の解放、女性の解放、性の解放、フリー・セックス、欲望の放出という心理社会的な連想、連合、複合に、過激でアカデミックな複合を装わせ、この二重の複合(コンプレクス)を以て世俗から歓迎された。
ところが彼女はベルリンの壁の崩壊を発端に東欧諸国やソ連の社会主義体制が次々に崩壊する過程で「マルクス主義」を控えだし、『おひとりさまの老後』(法研、二〇〇七年)とテーマを変えたが、二〇一二年一二月八日付「朝日新聞」別冊掲載〈悩みのるつぼ〉で、「性欲が強すぎて困ります」という一五歳の中学生の質問に、「社会学者」として「経験豊富な熟女に」、「筆おろし」を「土下座してでも」頼みなさいと答えた。文中には「パンツまで脱いでもらう関係になる」と、「スカートの下の劇場―ひとはどうしてパンティにこだわるのか―」同様の表現もあり、このように十数年を経て繰り返すことから、まさに彼女自身が「パンティ」や「パンツ」に「こだわ」っていると分析でき、この心性が、女性ながらそこまで発言できると見せて、内心が卑俗な男を喜ばせるという心理社会的な効果を発揮している。まさにハビトゥスの強靱な惰性が、上野や朝日新聞に現象したと言える。それは知の退廃の現象形態でもあり、民度の問題と言い換えることもできる。たとえ別冊であれ、全国紙でこのような回答が公然と掲載されたことは日本の文化や社会意識のレベルとして問われねばならない。
事実、上野は「昔は若者組の青年たちの筆おろし(って知ってますよね)を担ってくれる年上の女性たちがいたものでした」とも述べているが、まさに俗論である。歴史的な段階に応じて差異や変化はあり、その中で「婚姻するトレーニング」で「若者組と娘組との間でとり決め」があり「娘組がないところでは、年上のおばさんたちの講」で「『般若心経』を唱えながら」教えるなどもあったが(芳賀登『成人式と通過儀礼―その民俗と歴史―』雄山閣、一九九一年、一四二頁)、時代を通じて、自立・自律へと進む若者は初めて自意識を持ち尊厳や節操や廉恥などに敏感になる。そして、意気地があり自分を大切にする者は、人生で極めて重要な意味を有する性行為を、しかもその最初を、上野が書くような形で行うことなど考えなかった。年上の女性の場合でも『般若心経』唱えるなど厳粛であった。たとえ体裁でも、それだけの倫理があった。また確かに性指向は多様で、年長者を選考する者もいるが、その場合でも、ただ性欲の処理のための「筆おろし」などと考えはしない。
そもそも村落共同体では、誰が何をしているかはすぐに知れ渡る。たとえ口外せず、心の奥底に秘めていても、眼差し、表情、身振りなどで内心が察知される。そのような共同体で、意中の人を得ようとしても、相手にされず、かつ欲望を我慢できない無節操で破廉恥な者が、やはり無節操で破廉恥な「年上の女性」に「筆おろし」を頼るのである。
当時の栄養や衛生が劣悪な条件では、毎日毎日、日差しや雨風にさらされて労働する者は甚だしく肌や髪が痛めつけられ、二〇代でも急速に衰える。溌剌とした同世代の娘から見向きもされず、一気に老けた「年上の女性」に頼るしかない者への評価は、推して知るべしである。
しかも若者組(娘組、若衆宿等も含む、以下同様)には、頭(かしら)を中心にしたリーダー層がおり、若者間の秩序を乱す、男女関係の問題を引き起こす等々の者を制裁したように、当時なりの規範や倫理があり、それは現在の都市の「孤独な群衆」(デヴィッド・リースマン)に紛れて自由=恣に性欲を充足、或いは放散できる社会よりはるかに規制が強かった。これは少しでも勉強すれば分かることである。
さらに若者組は南洋の習俗と類縁性があり、「社会学者」の肩書き用いる者では必読文献たるマーガレット・ミードの『サモアの思春期』*1では、その秩序維持の機能が報告され、特に第六章で述べられている若者の組織の「アウマガ」や「娘と称号をもたない者の妻と未亡人」の組織の「アウアルマ」は若者組や娘組と類比できる。これを私は学部時代に学生同士の会話で知った。
以上から、「慰安婦」をめぐる議論に「乱流」をもたらした日本フェミニズムの一部は、知の退廃と相関していたと見なすことができる。この点について、さらに考察を加えよう。
82-7-2.知の退廃、「思考は言語で偽装する」
たとえ被害と加害の関係性であろうとも、研究のための批判は必須である。しかし「慰安婦」の証言=口述資料の検証や活動家との議論は、先述したとおり十分になしえていない。このため学問的発展は妨げられ、知の退廃の要因ともなっている。
ここで知識社会学や文化資本論を応用して、上野が所属していた東大文学部社会学科について見ると、その出身者の宮台真司は、マスメディアで公然と「ブルセラ(女子中高生たちのブルマーやセーラー服による合成語で性的刺激が隠喩)」や「援助交際(児童買春)」を肯定的に評価した*2。上野の「パンツ」と宮台の「ブルセラ」は言葉は異なるが、アカデミックに装った知の退廃では通底している。そこには、性とは種の存続に関わる本源的な営みで、これを認識できる人間にとって、とても厳粛な意味を有するという認識はない。
その徴候を、私は一九七〇年代に社会学科の学生として感得していた*1。丸山真男や日高六郎を踏まえ、「理論信仰」よりも「実践信仰」や「実感信仰」を志向したのは、「理論」を装った欺瞞を察知したためである。確かに一学生として受けとめ方であるが、証言としてここに提出した。また後日、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの「思考は言語で偽装する」を読み*2、学生時代を思い起こした。この「偽装」、それに伴う欺瞞がバブルを経て知の退廃に到ったと捉えている。
これらを踏まえて、さらに先述した上野の「回答」を再論する。Ⅶで述べた意見をインターネットで発表すると、幾人かが応答した。発表の場には、VAWWRAC(戦争と女性への暴力リサーチ・アクション・センター)やWAM(アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館)などのメーリング・リストもあり、その中に上野も加わっていたものがあるが、彼女自身の反応はなく、知人から代弁が送られ、それに対して、私は次のように答えた。
何よりも、一五歳の少年への回答にも関わらず、全く「愛」に言及していない。これは官製の性教育で「愛」が極めて希薄であることと同然であり、少年が「愛」なしに性欲を安直に充足させるということの意味を理解していないことを表している。そして「愛」は、エリクソンが若い成人期のvirtue(徳=活力)に位置づけているとおり、重要な発達課題である。実際、愛を知らず性欲で動く者たちの関係性は、欲望の段階で止まったままである。さらに、発達が進まなければ、常に変化する存在である人間は、発達とは異なる変化、即ち退行や退廃へと向かう。上野が少年に説いたのは、これである。
この点は、性は種の存続に関わる本源的な営みで、これを認識できる人間にとって、極めて厳粛であるという認識に関わる。即ち、本能に従う生殖活動の進化・発展の到達点に「愛」があり、それが人間存在の根幹となっている。
この中の「本源的」について、上野の知人は「結婚をしない男女は一人前の人間ではない」という考え方で受けとめた。これに対して、そのような意味ではなく、「文脈を踏まえれば、そのように受けとめるのは誤解か曲解ではないか」と答え、「本源的」には人間存在論を込めているとして、次のように説明を加えた。
そもそも人間には大脳の理性や情緒もあるが、脊椎の先端に続いて形成されている延髄、橋、中脳、間脳の脳幹の心理機制もあり、脊椎から脳幹までの基本構造は魚類から哺乳類までほぼ共通している。この身体を以て、人間は精神を無限かつ無限に超える愛を有し得る(パスカル『パンセ』参照)。そして、子どもを産む産まないに関わらず慈愛、博愛をもって人類や地球のために努力する人々がいる。そのような修道士、修道女、僧侶たちに、私は出会ってきた。
また、上野の知人は、上野の書き方は「アモラル」であると述べた。「アモラル(amoral)」を使うことにより、道徳に反するインモラル(immoral)ではなく、道徳から離れ、さらには超えているという示唆が読みとれた。
これについて、次のように答えた。「文は人なり」の民衆知、或いはアカデミックに言い換えて文章心理学の応用で考えれば、「アモラル」な文と「アモラル」な心理には一定の相関関係があり、それらが「東大」や「朝日」などの「文化資本」で使われているところに、日本の「アモラル」な社会心理とも一定の相関関係があると考えられる。これにジョージ・H・ミードの象徴的相互作用論を応用することも有意義であろう。つまり「アモラル」な現象を研究することの意義は大きいと認識する。その上で、研究する自分が「アモラル」になれば、研究の客観性が問われる。ただ自分に合うからというのなら「オタク族」のレベルである。マックス・ウェーバーの「価値自由」やテオドール・アドルノの「反教養」など、社会学では必須の概念を踏まえた上で、回答文と回答者の「アモラル」について検討することも有意義であろう。それを通して「アモラル」か「インモラル」かの議論も進むであろう。
さらに、私は、この一ヶ月後に第4回日韓学術交流研究大会(2013年1月26日、神戸大学)で「複合的暴力に対する平和構築―性のハビトゥス(habitus)をめぐり」のテーマで報告するので、上野の回答は貴重な参考資料となると発言した。これに対して、別なメールで彼女は日本と韓国で話すことが違うから、この点を考慮したらいいという助言が届いた。これに対して、私は“国内の発言と国外の発言が違うのは、他にもいる。頭がいいので切り替えられるのだろうが(モードチェンジ、二枚舌等々)、それは要領がいいというレベルで、ウィトゲンシュタインの「思考は言語で偽装する」の好例であろう。ソクラテスやプラトンの「『悪いやつだが知恵がある』と言われる人がいるものだ」も当てはまる”と答えた。なお、そのメールでは「女性同士の対立は男性にとって高みの見物にできるものなので」とも記されていたが、これに対しては“そうしないように心がけている。性的少数者の対立、論争でも、そうしないようにしてきた(前掲『トランス・ジェンダーとして生きる』の後のこと)”と述べ、次のように提起した。
「朝日新聞に掲載された社会学者の回答に学び、愛を知らず、性欲を安直に満たしてよいと考えるようになった者が、もし無法状態の戦場に送り込まれたら、再び戦時性暴力を続発させるだろう。相手のことを配慮しないどころか、自分の生き方も大切にしないため、何でも好き放題に欲望を暴発させるようになる。さらに、そのような機会を求めて戦争を願うようにさえなる。このように考えるのは、考えすぎだろうか。『学者』と名乗る者であれば、問題が顕在化する前に徴候を察知・洞察し、広く警鐘を鳴らすべきだろう。特に選挙結果によれば改憲がますます切迫する状況において、私は決して考え過ぎだとは思わない。切迫とは臨界的かつ危機的(critical)であり、それを危険だが機会でもあると捉えて、発展に導き得るという意味である。そのためには真摯に厳粛に考え、安直を戒めねばならない。」
これに対して誰も答えず、議論は終わった。これもまた知的文化的水準を示している。上野の記した「経験豊富な熟女」「年上の女性」の「筆おろし」を、中国漢口慰安所における「厚化粧でも隠しきれない目尻にしわを刻んだ女が、息子といってよいほどの年若い初年兵をくどいてい」た状況と対比すればよい*1。「慰安婦」に関心のある者が多く加わるMLで、このような対比が全く出なかったのである。
以上から、この水準における議論は、たとえ激しく交わされてきたとしても限界があり、「慰安婦」研究もそれに規定されていると言わざるを得ない。
「慰安婦」という重大で厳粛な問題に対する責任ある態度は見出せない。
宮台が大澤真幸と共著で『おどろきの中国』(講談社現代新書、2013年、もう一人の共著者は橋爪大三郎)を出したことは、「おどろき」ではない。大澤が、2009年9月1日付で京都大学を辞職し、設けられていた後期授業は開講されなかった理由とともに、一考に値する。宮台も大澤も見田の系譜である(橋爪は近いが系譜とまで言えるかどうか詳らかではない)。
82-7-3.戸坂潤(日本のマルクス主義唯物論哲学者の代表的存在)の「サルマタモラル」論
上野の「スカートの下」、「パンティ」と対極において、戸坂は真摯に現実と格闘し、生き生きと「サルマタモラル論」を展開した。彼は現実に根ざし、鋭敏な「実践感覚」で、現実の清濁を十分に把握し、同時に学問をしっかりと消化し、活用できるから、自分の言葉で生き生きと表現できる。
以下のエピソードは、その典型例である。
石原辰郎「戸坂さんを思う」『戸坂潤全集月報』1(第二巻)一九六六年二月、四頁より。
「神田のある喫茶店で、戸坂さんと風刺について議論したことがあった。私は『風刺は被抑圧階級の思想闘争の一つの形態だ。階級のなくなった社会ではなくなるだろう』と主張した。戸坂さんは、『そんなことはない。思想の本質としての批判精神の現れの一つとして、ますますその本領を発揮して盛んになるだろう』というような意見だった。それに対して私は、『そういう考え方は、イデオロギーを階級的なものとしてとらえる見地が希薄ではなかろうか』というような反論を試みたように思うが、反論しながら自分の考え方の狭小さを強く反省させられたのだった。このような仕方で私は戸坂さんの教育を受けたのだった」
これは、ソクラテスの問答法、対話、産婆術を思わせる。
このような戸坂だからこそ、次のようである。
「一部の人々によって『身についたモラル』ということが強調され、モラル論議が盛んに行われたことがあった。私はそういう主張は、体験主義的な考え方を弄して科学的な考え方に挑戦するものであり、当時流行していた転向理論の片棒を担ぐものにすぎないと主張していた。戸坂さんはこの問題について初めあまりはっきりした態度を示さなかったが、ある日、会(唯物論研究会―引用者注)の事務所で、事務所に入って来るなり私らに、『身についたモラルというのはサルマタモラル論だよ。きたないよ』と、吐き捨てるようにいった。私は思わず快哉を叫んだ。戸坂さんの思想と私の思想が、暖かい血で交流したように感じたのである」
この「サルマタモラル論」を、私は院生時代(一九七九~八四年)に碓井正久教授から聞いた。教授は誰の言葉とは言わなかったが、庶民的な表現で意味を明快に伝えており、今でも記憶している。
上野と取り巻きの「パンティ」や「アモラル」は、戸坂同様に「きたないよ」と吐き捨てたいものだった。
この「サルマタモラル論」を、石原の文章を読み、文献として、しかも戸坂の言葉として確認できたのは、二十年以上も後であった。その間に忘れなかったのは、この言葉に込められた思想と実践の力と言える。
この生き生きとした表現を知った時、私は「うきがいサークル」(先述)という葛飾の高校生の生き生きとした表現を想い出した。
「モラル」に関して、お説教になることに注意し、内心の欲望、衝動を統制する外的な規範として考える必要がある。それもまた「内」と「外」の弁証法である。
科学と、科学的成果が出れば、それを悪用しかねない人間に必須の倫理の相関とも言える。
「自己否定」と言うなら、これくらいの自覚は必要である。
83.欺瞞・偽善、エセ批判、知の退廃
見田ゼミにおける教祖、側近、女官、信者のようなグループ・ダイナミクスは典型例であり、その後、学会、研究集会、シンポジウムなどでしばしば観察できた。特にプログラム終了後の会場、さらには懇親会は、格好のフィールドであった。
お偉いさんが、女子院生から質問される時に浮かべる笑顔には、富永教員が女子のゼミ生に見せた笑顔(『アイデンティティと時代』p.126)と共通していると観察していた。
かく言う私も、助手を数年勤めてもポストを得られないので、仕方なく懇親会などでビール片手にお偉いさんに挨拶回りしたが、元来が無愛想なので、効果はなかった。結局は公募で秋田大学に赴任できた。ムダな努力をしたものだと思うと同時に、お偉いさんの口添えなしだったので、誰にも気兼ねなく教育・研究に励めた。秋田大学の講座は、まことに学問の自由が尊重されていた。
後日「ビール片手だだめですよ。両手じゃなければ」と言われたが、その口調は冗談ではなかった。彼もまた就職にはとても苦労していた。
教祖、お偉いさん、その取り巻きのディスクールは表面では学問的だが、似て非なるものである。先述の「亜流」よりも、この似非(エセ)学問に注意しなければならない。
その批判は、批判のための批判であり、批判的思考ではない。批判は建設的でなければならない。否定の弁証法で、発展をもたらさねばならない。
先述の「脱学校」について言えば、完全な「脱」は、有限な人間では不可能だが、しかし、諦めると、学校・選抜を通した支配統制を容認・追従してしまう。学校における良い部分(完全な善がないのと同様、完全な悪もない)を認め、受けつつ、悪い部分を批判し、改善していくという、建設的な批判が求められる。
フロム、イリイチ、フレイレの系譜・比較などはゼミで。
84.「しらけ」
学生運動の「挫折」
分岐点は、1969年、東大安田講堂「落城」。
その後、
一方でセクト同士の「内ゲバ」の過激化
他方で「挫折」とともに「しらけ」が流行語になり、「しらけ鳥の歌」がヒット。テキストp.137
後者は「三無主義(無気力、無責任、無関心)」(テキストp.43)の延長で、「しらけ」が流行った時期は、「五無主義(三無主義に無感動、無作法)」など「無」が増えた。
85.知の退廃や衆愚の広がりとしての「イエスマン/ウーマン・・」
学歴主義や国家体制を批判する側における従順な「イエスマン/ウーマン・・」、テキストp.135-6
cf:Mjさんの「意義と任務の桁なんかでやりたくないね」、p.65とp.112
彼女は自分で「納得」しなければ動かないが、例外的で、「マージナル」。
そのような彼女でも、私の査問の時は動かなかった(動けなかった)。
86.右も左も真っ暗闇じゃござんせんか
「傷だらけの人生」
藤田まさと作詞、吉田正作曲、鶴田浩二歌、1970年リリース
セリフ「今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。」
歌詞「何から何まで真っ暗闇よ/筋の通らぬことばかり/右を向いても左を見ても/馬鹿と阿呆の絡み合い/どこに男の夢がある」
「生涯」の原理論的理解(2)、アイデンティティと時代、個人と社会、主観と客観、自由と規律、偶然と必然、具体と抽象、等々の弁証法
75.弁証法(ディアレクティク)は、矛盾を契機にした発展という動態・運動の認識論
固定した、動かない、死んだ事物の認識ではなく、
生成変化する生きた動きを認識する。
弁証法(ディアレクティク)は、問答、議論、対話(ダイアローグ)に由来し、共同学習、サークルを考察するためには重要な認識論である。
また、サークルで重要な「自由」には、物理的にも精神的にも「動き」が必須である。
75-1.自由な動きと揺れ
メンバーの関わり方(コミットメント)は積極的~消極的など様々に違う。
やる気がない、波がある、他のサークルとかけ持ちで忙しい、サークルとは違う悩みで関われない、人間関係、、、
活動の強弱で、メンバーに差が出る。
リーダー(メンバーの一人)は、それぞれのあり方をうまく合成できるか?
それがリーダーとしての力量、リーダーシップになる。
そして、合成に関しては「一即多、多即一」の弁証法が、有効な認識を得させると言える。
76.専門と教養
個々のメンバーのあり方は、それぞれの長所となる。少なくとも潜在力がある。
例えば、Y君は、Aのサークルでは参加が弱いが、Bのサークルでは中心メンバーである場合、サークルAがイベントを行う時に、Y君を足がかりに、サークルBを切り口に宣伝を広げられる可能性がある。
個々の長所を一般化、抽象化すると専門になる。様々な専門を統合(合成)できれば組織力を増強できる。
様々な専門を統合するためには、その基盤が重要であり、そこに幅広い教養(リベラル・アーツ)が求められる。教養は、高校までの基礎教育(識字)、総合的学習、受験学力などに基づき学問・研究の段階に進む中で積み上げ、洗練させていく。その中で、広く公共的な課題も考える(ノブレス・オブリージュに通じる)。平和、安全、人権などは公共的な課題であり、誰もが考えるべきで、人任せにしてはならない。
専門職として社会教育主事、図書館司書、博物館学芸員などは、当然、これをわきまえなければならない。
77.自由のための闘い
抑圧からの解放
アイデンティティと時代、個人と社会の弁証法
自由は自ら得るから自由であり、他から与えられるものは、本質的に自由には値しない。
自由と気ままは違う。これはリベラル・アーツと「半教養」、「第二芸術」の違いに対応している。
ゲーテの箴言
「自由と存在は、日々それを新たに勝ち取る者のみが、受けるに値する」
『ファウスト』11575(ネットより)
英訳:He only earns his freedom and existence, Who daily conquers them anew.
(Act V Scene I: Open Country)
マルクスは社会的抑圧を、フロイトは心理的抑圧を研究し、それからの解放・快癒を目指した。
フランクフルト学派(ホルクハイマー、マルクーゼ、フロムたち)はマルクスとフロイトの統合に努めた。
それは、エリクソンがフロイトの心理性的発達論に心理社会的発達論を加えたことに類比できる。
私は前者を学び、後者に進んだ。
グローバリゼーションにおいて、地球的規模の社会がダイレクトに内心に影響する。グローバルな高度情報システム(インターネット)を通して、世界が内面を刺激・作用・操作する。マルクスとフロイトの統合は、現代では高レベルにおいて、取り組まねばならない。それは、メディア・リテラシーの課題とも言える。
78.主観と客観、偶然と必然、具体と抽象の弁証法
外的拡張と内的充実の統合的推進
グローバルな社会が内心にダイレクトに作用するという状況において、自己形成が他者との出会いを通して進む。
自己の主観(他者にとっては客観)と他者の主観(自己にとっては客観)が交錯する。
出会いは偶然だが、いくつもの偶然を経て、出逢うべき者と出逢えたら、それは必然と言える(のではないだろうか)。
古来から「赤い糸」で結ばれているという喩えは、その表現と言える。
これを一般化、抽象化すると、偶然に遭遇したクライシスやチャレンジに具体的に対応する中で、様々な試行錯誤を通して、自分の生きるべき生き方に到るとなる。
いくつもの具体的な偶然を貫く必然、必然に組み込まれる偶然。必然には、その通りになるという意味で法則性があり、法則とは抽象的である。
しかし、必然を、必然ではなくしようと努力する人間もいることは確かである。必然は法則どころか、運命だと諦めて受け入れる者だけではない。それを悪あがきと見るか、それとも、そこに人間としての存在の核心、実存を見出すか。
現状では法則=必然であっても、それを対象化し、変革するところに、人間の創造性、主体性がある。世界は無限であり、限界=「外」がなければ、法則=必然による限界もないのではないか。
「世界」の外的な拡張が、また同時に、個人の内的な充実でもある。弁証法が発展の認識論であれば、それを以て外的拡張と内的充実を統合的に推し進められるのではないか?
偶然と必然、具体と抽象の弁証法などと「弁証法」を使えば分かる(分かった気になる)が、それを実践するのは極めて困難。
たとえ、抽象的に分かっても、具体的に現状の限界(例えば様々な差別)を見れば、それを変革し、新たな世界を創造するという努力は無駄になる。しかし、無駄と承知で、なお止められないという者もおり、そのような生き方も、必然の一つではないか・
78-1.偶然と必然の交錯における意味・価値ある出逢い
意味・価値(以下、意味で一括)ある人と人の出逢いは、偶然と必然が交錯したところで起きる。
ただし、出逢いの後の進展如何で、その意味がどのようになるか分からない。つまり、意味ある出逢いには、クライシス(危機)がつきまとう。それを機会(チャンス)とするところに、力量(人間的強さ)が求められる。
社会教育では「出会い、触れあい、学びあい」が呼びかけられるが(私は秋田の社会教育主事講習で知った)、ここで使う「出逢い」は、その意味により重みを加えるためである。
78-2.「一期一会」の伝統の発展として
「一期一会」は、茶道で、茶会は、毎回、一生に一度だという思いをこめて、主客とも誠心誠意、真剣に行うべきだという意味で使われ、それが一般化され、一生に一度しかない出会いや機会をも意味するようになった。
いつ「出逢い」があるか分からず、すれちがいとなるかもしれず、日ごろから緊張感を保つことが重要である。その中で「実践感覚」を活用する。
しかし、それが過度・過敏になり、神経症的になってはならない。緊張の中に緩和を交える余裕(ゆとり)が求められる。これもまた「人間的強さ」となる。
なお、類似として、西洋で“幸運の神(カイロス、Caerus、Kairos)には前髪しかない”という感覚がある。
78-3.「男子、三日会わざれば、刮目して見よ。」
三日も経てば、どのように向上しているか分からないから、目を見開いてしっかりと相対すべしという意味である。
これは中国の「士、別れて三日なれば、刮目して相待すべし。」(「三国志演義」より)に由来する日本の格言。
封建的男尊女卑で「士」は「男子」であり、それ故、現代ではジェンダー・フリーで応用すべきである。
78-4.ゼミでの活用
これらは、週一回のゼミなどで活用でき、かつ、すべきである。「別れて六日」経てば、どのように向上しているか?! 「三日」の倍である。
79.時空間論的な展開
アイデンティティと時代、個人と社会の抽象化を、時空間論的に具体化しつつ原理論的に考察を深める。
個人の自由な発達と自由な社会の発展の統合(アソシエーション)は、個人のライフサイクル(通時)と諸個人のライフサイクルの(共時)の時空間論的な統合でもある。
無限に拡大する世界・宇宙の内に人間が存在し、そのような人間が世界・宇宙を「こうだ」と捉え、そのように命名する。
宇宙の「宇」は空間、「宙」は時間を指し、『千字文』第2「宇宙洪荒」の李注では「宇というのは、天が万物におおいかぶさっている形が、家の屋根のようなので、それを宇(屋根の意)と名付けたのである。宙というのは、過去・現在・未来(永久の時間)をいう」と述べられている*1。
79-1.宇宙(時空間)と美学
人間と世界・宇宙が統合的に存在するという考え方は、ギリシア語のコスモス(cosmos)に見出せる。コスモスは秩序と調和の体系としての宇宙である。
そこには美的な観点もある。
コスモスは花も指し、その花言葉は、
「乙女の真心」「乙女の愛情」
(ピンク)「少女の純潔」
(赤)「調和」
(白)「美麗」「純潔」「優美」
さらに、コスメティック(英語のcosmetic、フランス語のcosmetique)は、ギリシャ語のコスメティコス、そしてコスモスが語源である。
これは「万物照応(correspondence)」の観点にも通じる
79-2.宇宙(時空間)と感覚、感性、感受性
パスカルは『パンセ』(断章七二)で、次のように述べている。
「このように自分を眺める者は、自分自身に戦慄するだろう。そして、自分が自然の与えるまとまりにあって、無限大と虚無という二つの深淵の中間に支えられているのを見、その不可思議に恐れおののくだろう。私は思う。人の好奇心は驚嘆に変わり、もはやそれらを僭越な心で探求するよりは、黙して眺めようという気持ちになると。そもそも、人間とは自然においていかなるものなのだろうか。無限に比しては虚無、虚無に比しては万有、虚無と万有の中間である。人間は二つの窮極を知ることから無限に遠く離れており、事物の窮極もその原理も計り知れない秘密の内に固く隠されている。人間は自分がそこから引き出されてきた虚無も、またそこに呑み込まれていく無限も、等しくいずれも見ることができない。」
これは、ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』第四部第三章三「すべての力の分解が、結局は統一に達することを知った観想家は、無限の恍惚感にひたる。すべてがすべてに作用するのである。」(前掲、佐藤訳、第四巻、九九頁)に通じる。
79-3.無限大と無限小(虚無)の「中間」、「媒介」
三木は『パスカルにおける人間の研究』(岩波文庫、pp.14-15)において、「無限に比しては虚無であり、虚無に比しては全体である。それは無と全とのあいだの中間者である」と訳し、「パスカルのこの観察は感傷的ではなくて根本的であり、詠嘆的でなくて原理的である」と総括し、この「中間的存在」たる人間観は、デカルトの《medium》に通じると注記している*1。
mediumは、ラテン語では発音はメディウムで、英語ではミディアムであり、複数形がmedia(メディア)である。
三木は、人間とは「根本的」、「原理的」に中間的であち、かつ媒介的な存在であると論じている。
また、三木は『パンセ』断章二〇六の「無限なる空間の永遠の沈黙は私を恐れしめる」を引用し、これは「心理学上の概念ではなく、かえって人間の存在論的なる原本的規定」であり、「人間的存在の状態性」であると論じる*2。
さらに、三木は、それは「パスカルの光彩ある言葉を用いるならば」、「人間の条件(condition)」であり、また「世界における我々の『存在の仕方』、あるいは我々が世界に『出逢う仕方』に外ならない」と論じる*3。
「我々は世界を感じるのに即して自己を感ずる」、「世界を所有することはやがて自己を所有することである」*4は、世界と自己の統合であり、さらに統御(コントロール)、自主管理(セルフ・コントロール)である。
それは、フレイレの「世界」の「命名」に通じる。
79-4.参考:デカルトとパスカル
「われ考う、故にわれ在り(je pense, donc je suis)」と「考える葦(roseau pensant)」
デカルト(1596年-1650年)は、懐疑を追究し、最終的に疑い得ぬものを考える自己とした。これはソクラテスの問答法や「汝自身を知れ」の警句の応用と言えるが、それをデカルトは『方法序説』で「われ考う、故にわれ在り(je pense, donc je suis)」と概括した*5。
これに比肩するパスカル(1623-62年))の箴言は「考える葦(roseau pensant)」である(『パンセ』断章347)。
いずれも動詞のpenserが使われており、人間が考えること基軸にしている。このように両者には確かに共通性があるが、デカルトが「われ在り」と宣言することに対して、パスカルは「葦」にすぎないと自覚した上で考えることの意義を提起している。
デカルトを理性的科学的思考として評価することが多いが、しかし実際では、パスカルが数学や物理学で卓越した業績をあげ(現在の気圧の単位「ヘクトパスカル」はその一つ)、デカルトは全く及ばない。
パスカルは『パンセ』などでキリスト教信仰(しかも主流の教権体制的ではない信仰)を論じたため、それが理性的科学的な思考に関して影響を及ぼしているが、この点では、先述の武谷の「亜流」という指摘が重要。
なお、スピノザ(1632-77年)は『エチカ』(死後1677年発表)で第一部の神の考察から始めて第五部では知性の能力、人間の自由へと議論を展開している。デカルトとパスカルのスピノザ的な統合と言えるが、私はパスカルを凌いでいないと評価する。
80.美学、感受性、感動の対極
「無感動」を含む「三無主義」の存在論的根本的な問題
1970年代の青年をめぐる問題状況-その1
「三無主義」(『アイデンティティと時代』p.43で言及)以前、アパシー(無関心)が指
アパシーに「無感動」(それに無責任)が加わった点について、感動が無いことの重大性を考えるべきである。
また「無責任」は、高度成長の1960年代、植木等とクレイジー・キャッツが流行させた「無責任」(ヒット曲の代表は「スーダラ節」リリースは1961年)
大人は、これを少し客観的に受けとめられるが、子供は直接影響される。
そのような子供(仮に12-15歳の中学生)が、高度経済成長の時流に乗り、6年後の1967年には、18-21歳の大学生になり、学生運動で「大学解体」、「自己否定」を叫ぶが、しかし、それを貫き通して学生の立場を捨てた者は小数(「ドブチュー」はその一人)だった。
私は矛盾や躊躇(学生であることを辞めるの恐れは確かにあった)を感じながら、自分で高校生たちに語ったことの責任を負うべく、セツルメントから地域の民青、共産党へと進んだ。
富永教員に「卒論は指導しない(事実上、卒業させない)」と言われたこともあり、中退について「魔女(Mj)」さんに相談したこともある(これは『アイデンティティと時代』には書いてない)。それに対して「魔女」さんは、自分に体験があるためだろう(三つの大学で除籍=放校)、「卒業すべきだ」と応えた。だからと言って、彼女は、活動において、私への要求を軽減しなかった。
活動と勉学の両立にも悩んでいたから、私=ブクは恨めしかったが、しかし、踏ん張ろうと気を取り直した。
なお、彼女はもっと深いところで配慮していたと推測できるが、これはゼミ(4年次)で述べる。
81.1970年代の青年をめぐる問題状況-その2
「『甘え』の構造」(土居健郎)
(『アイデンティティと時代』p.54で言及)
学生時代は土居の指摘に反発を覚えたが、次第に、確かにその性格はあると受けとめるようになった。
「おかしなパン屋」と『資本論』(同前、pp.71ff)は、その一例。
さらに、以下も。
ゴリの仲間たち(チンピラやねずみ男)の卑しさ(同前、pp.68ff)
真面目なイエスマンの開票前の投票箱の開封(同前、pp.118ff)
その上で、土居は大学の教員(自分自身も含む)における「甘え」を指摘していないことは、まことに不十分で、やはり「甘え」があると判断する。
82.学生の「甘え」に相関・呼応した知の退廃、欺瞞、傲慢、その無神経
82-1.高橋教員-「カウンター・カルチャー」
体制のエリートを育成するという意味で「正統的」な最高学府の頂点に位置する大学で、強力な「文化資本」を有した者が、「カウンター・カルチャー」を論じる(『アイデンティティと時代』p.112)。
『アイデンティティと時代』では、根拠が薄弱と判断して書かなかったが、高橋は東大教員の肩書きでありながら、学生運動、新左翼、全共闘、カウンター・カルチャーという反体制に理解を示すということで、銀座や青山などのクラブで人気を得ていたという。私は、下町のはずれを志向していたため、この伝聞(ディスクール)を検証する機会を得なかった(その気にならなかった)が、文化資本の実態を把握する上で、もっと情報を得るべきであったと後悔する。
ただし、この伝聞は、全共闘に親近感のある学生と民青・共産党の学生(いずれも文学部)から得ており、また、キャンパスにおける自然な会話であり、高橋を意図的に誹謗するという脈絡ではなかった。口調や表情は、義憤というより、「要領よくやっているものだ」という感じであった。
82-2.見田教員-その1-「脱学校」
学歴主義の頂点で「脱学校」(イリイチなど)を講義し、また議論する(『アイデンティティと時代』p.115、pp.127ff)。
さらに、それを意識し、自己批判を見せびらかし、アリバイ作りをしながら講義・議論するという、二重の欺瞞、偽善であり、それは、学校のヒエラルキー、ピラミッドの最高位で学校を「批判」し、その下の「批判」を封じるという、まことにずる賢い欺瞞、偽善である。
これは「ノブレス・オブリージュ」に似て非なる似非(エセ)ノブレス・オブリージュと言える。
82-3.見田教員-その2-「コミューン」
学生運動では民青・共産党も新左翼・全共闘も、思想的イデオロギー的政治的に「コミュニズム(共産主義)」が大きな位置を占めていた。これに対して、見田は「コミューン」を論じると見せていた。それは政治や学生運動の現実的問題に関わらなくてもすむことができるものであった。
彼は講義で「ユートピア」を取りあげ、テキストはマリー・ベルネリ/手塚宏一、広河隆一共訳『ユートピアの思想史-ユートピア志向の歴史的研究』(太平出版社、1972年)であった。より鮮明に現実的問題からの遊離が現れていた。
このような授業は、1969年の東大安田講堂「落城」後、学生運動が退潮する一方、過激な内ゲバが続発する状況において、それから距離を置けるが、しかし「ひとり風魔だ」(『アイデンティティと時代』p.110、p.159)の気概はなく、群れを求め、そこに癒しや安心を得ようとする者に適合していた。特に、全共闘は、その名の通り、一定の立場、それを実践する組織を選び、賭けるというのではなく、全共闘という大勢の中で、実存的な決断を回避しながら、鋭い体制批判(大学解体、自己否定など)を叫べたので、そのような者にとって、「受け皿」となった。
独立独歩の気概がなく、群れの中で癒しや安心を得ようとする者の集まりだからこそ、その中で見田は、彼が意図したか否かに関わらず、教祖的な存在に祭り上げられた。
私は、彼は学者の父(石介、唯物論哲学)に素直に育成された、学者二世のボンボンで、自らを教祖にしようという野心はなかったと分析する。それと同時に、取り巻きたちのグループ・ダイナミクスにより自分が教祖になっているという自己分析、自省もできなかったと見なす。
ボンボンであったことは、彼は自分で創造できるペンネームにまで「悠介」と、父「石介」の「介」を使用していることろに現象している。彼のエディプス・コンプレクスはどうなのかと考えてしまう。
このような観察・思索の中で、「ユートピア」について考え、以下の文献を勉強し、現在でも参考にしている。
トマス・モア 『ユートピア』(版は複数)
ヘルベルト・マルクーゼ著/清水多吉訳『ユートピアの終焉-過剰・抑圧・暴力』合同出版、1968年
カール・マンハイム/鈴木二郎訳『イデオロギーとユートピア』未来社、1968年)を読み、
82-4.「コミューン」を論じる見田ゼミ(グループ)の力学(ダイナミクス)
教員がこの水準だから、群れる学生が、自ら論じる「コミューン」についての自省もなかった、或いは弱かったのは、当然の帰結である。
見田石介・宗介(悠介)という親子で大学教授という紛れもない事実は、宗(悠)介が文化資本の相続人、階級の文化的再生産の体現者であったことを示している。しかし、見田ゼミやその周辺で、この点が取りあげられたことは聞かず、むしろ「父親も立派な学者だ」と肯定的に語られていた。私はマージナルな位置で腑に落ちなかったが、教祖と信奉者(あたかも男子院生は側近、女子院生は女官の如し)の言いしれぬ迫力に恐れをなして、口にしなかった。
見田ゼミは人気があり、ゼミとは言え、当時は二十名以上であった。このような集団の構成は、教祖を中心に側近が取り巻き、それに女官が控え、その外側で見とれる信者、そして、さらに外側のマージナル(周辺)で眺める者(私も含む)という同心円を形作っていた。このような集団で「コミューン」が議論されていたことは荒唐無稽であり、しかも、それが学歴主義の頂上であったことから、まことに知の退廃を思わされる。
次に、グループ・ダイナミクス(クルト・レヴィン)や象徴的相互作用論(ジョージ・ハーバート・ミードやハーバート・ジョージ・ブルーマー)を応用して分析すると、その集団心理において、受講生、ゼミ生に受け、期待や願望に応えつつ、引き込み、依存させるという力学が析出できる。
これに全共闘の弱まりがもたらす挫折感という神経症的な要素が加わり、見田ゼミの「コミューン」はカルトの妖しさに通じるのではないかと感じた。
学生運動のセクトの一部である連合赤軍とオウム真理教を関連づける議論は多い。見田ゼミはそこまで至っていなかった-善し悪しは別にして、行き着く気概はなかった-が、ゼミというグループの心理的力学(ダイナミクス)には、その傾向があったと言える。
82-5.参考1:全共闘・学生運動と文化大革命
「大学解体」、「自己否定」などと一九六〇年代後半、学生運動(特に新左翼、全共闘)で呼号されていた。しかし、実際に大学を離れる教員は稀で、学生は少なかった(ドブチューは稀な一人)。
たとえ運動の昂揚の中で熱いパトスが生成していたとしても、これまで述べてきたとおり、そこには荒唐無稽があった。
そして、中国では幾層倍の規模と激烈さで、それが現象していた。文化大革命(先述)の名で実質的に大学の機能が停止していた。
大規模で巧妙なプロパガンダで飾り立てていたが、実態は愚民と「暴民」(魯迅など)の権力闘争、政治抗争と言える。
内外のこのような状況において、まことに庄司が指摘したとおり「馬鹿馬鹿しさのまっただ中で犬死にしない」(先述)ことが大切であった。
学生運動と文革の関連は、以下の二つでも見出せる。
日本では、60年代の学生運動の世代、「団塊の世代」が経済成長を推し進めた。
中国では、文革世代が今の中国の経済成長をもたらした。
中国の文革では紅衛兵の軍服スタイルが流行し(適度にヨレヨレであると革命的=カッコよいと見られた)、日本の学生運動ではヘルメット、ヤッケ、ジーンズ(やはり適度にヨレヨレ)が「ゲバスタイル」と見られた。ただし「ゲバスタイル」は、当時は、私の周囲では、聞いたことがなく、後の造語と思われる。
82-6.参考2:三島と全共闘(再論)
先述したとおり、三島由紀夫は全共闘に期待し、だからこそ「討論(対話の一形態)」を行ったが(前掲『三島由紀夫vs東大全共闘―美と共同体と東大闘争―』)、しかし、全共闘は応えられなかった。見田ゼミから、その理由が分かる。
口先では「大学解体」、「自己否定」、そして「コミューン」を言いながら、前述のような見田を教祖とした。これでは、天皇を崇敬する三島の方が遙かに次元が高い。それとともに、三島が割腹自決に進んだわけも分かる。このようなレベルの全共闘に期待したのだから、絶望して当然であり、絶望とはまことに「死に至る病」(キェルケゴール)である。
82-7.参考3:
文学部社会学科のその後
82-7-1.「慰安婦」問題に絡まる日本「フェミニズムの乱流」
フェミニズムの思潮や運動の国際的な高揚において「慰安婦」がカムアウト(勇気を以て表明)したが、日本「フェミニズム」の一部が「慰安婦」をめぐる議論を混乱させ、秦郁彦は『慰安婦と戦場の性』で「フェミニズムの乱流」と指摘した*1。即ち、日本ではフェミニズムを標榜する者により「慰安婦」に関する理解や認識が混乱させられたのである。ただし、これと女性解放の実践に身を置いて努力する者とは明確に識別されねばならない。
この「乱流」には、政治外交の悪用に加えて、先述したヴェブレン=ブルデュの「誇示的消費」の性質もあり、謂わばあだ花の如き役割を演じた。それは、政治・外交の悪用や歴史の美化などとは異なる角度から「慰安婦」の捉え方を歪め、妨げた。これは、女性の立場から「慰安婦」の問題を鋭く追及するという誇示的な言辞でカモフラージュされていたが、十数年を経て露わになった。その典型例が上野千鶴子である。彼女は『スカートの下の劇場―ひとはどうしてパンティにこだわるのか―』(河出書房新社、一九八九年)や『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平―』(岩波書店、一九九〇年)に見られるとおり、扇情的な表現を利用して「マルクス主義フェミニズム」の「旗手」の役割を演じた*2。それはバブルが最高潮に達した時流に乗り、搾取や支配の打破、労働者の解放、人類の解放、女性の解放、性の解放、フリー・セックス、欲望の放出という心理社会的な連想、連合、複合に、過激でアカデミックな複合を装わせ、この二重の複合(コンプレクス)を以て世俗から歓迎された。
ところが彼女はベルリンの壁の崩壊を発端に東欧諸国やソ連の社会主義体制が次々に崩壊する過程で「マルクス主義」を控えだし、『おひとりさまの老後』(法研、二〇〇七年)とテーマを変えたが、二〇一二年一二月八日付「朝日新聞」別冊掲載〈悩みのるつぼ〉で、「性欲が強すぎて困ります」という一五歳の中学生の質問に、「社会学者」として「経験豊富な熟女に」、「筆おろし」を「土下座してでも」頼みなさいと答えた。文中には「パンツまで脱いでもらう関係になる」と、「スカートの下の劇場―ひとはどうしてパンティにこだわるのか―」同様の表現もあり、このように十数年を経て繰り返すことから、まさに彼女自身が「パンティ」や「パンツ」に「こだわ」っていると分析でき、この心性が、女性ながらそこまで発言できると見せて、内心が卑俗な男を喜ばせるという心理社会的な効果を発揮している。まさにハビトゥスの強靱な惰性が、上野や朝日新聞に現象したと言える。それは知の退廃の現象形態でもあり、民度の問題と言い換えることもできる。たとえ別冊であれ、全国紙でこのような回答が公然と掲載されたことは日本の文化や社会意識のレベルとして問われねばならない。
事実、上野は「昔は若者組の青年たちの筆おろし(って知ってますよね)を担ってくれる年上の女性たちがいたものでした」とも述べているが、まさに俗論である。歴史的な段階に応じて差異や変化はあり、その中で「婚姻するトレーニング」で「若者組と娘組との間でとり決め」があり「娘組がないところでは、年上のおばさんたちの講」で「『般若心経』を唱えながら」教えるなどもあったが(芳賀登『成人式と通過儀礼―その民俗と歴史―』雄山閣、一九九一年、一四二頁)、時代を通じて、自立・自律へと進む若者は初めて自意識を持ち尊厳や節操や廉恥などに敏感になる。そして、意気地があり自分を大切にする者は、人生で極めて重要な意味を有する性行為を、しかもその最初を、上野が書くような形で行うことなど考えなかった。年上の女性の場合でも『般若心経』唱えるなど厳粛であった。たとえ体裁でも、それだけの倫理があった。また確かに性指向は多様で、年長者を選考する者もいるが、その場合でも、ただ性欲の処理のための「筆おろし」などと考えはしない。
そもそも村落共同体では、誰が何をしているかはすぐに知れ渡る。たとえ口外せず、心の奥底に秘めていても、眼差し、表情、身振りなどで内心が察知される。そのような共同体で、意中の人を得ようとしても、相手にされず、かつ欲望を我慢できない無節操で破廉恥な者が、やはり無節操で破廉恥な「年上の女性」に「筆おろし」を頼るのである。
当時の栄養や衛生が劣悪な条件では、毎日毎日、日差しや雨風にさらされて労働する者は甚だしく肌や髪が痛めつけられ、二〇代でも急速に衰える。溌剌とした同世代の娘から見向きもされず、一気に老けた「年上の女性」に頼るしかない者への評価は、推して知るべしである。
しかも若者組(娘組、若衆宿等も含む、以下同様)には、頭(かしら)を中心にしたリーダー層がおり、若者間の秩序を乱す、男女関係の問題を引き起こす等々の者を制裁したように、当時なりの規範や倫理があり、それは現在の都市の「孤独な群衆」(デヴィッド・リースマン)に紛れて自由=恣に性欲を充足、或いは放散できる社会よりはるかに規制が強かった。これは少しでも勉強すれば分かることである。
さらに若者組は南洋の習俗と類縁性があり、「社会学者」の肩書き用いる者では必読文献たるマーガレット・ミードの『サモアの思春期』*1では、その秩序維持の機能が報告され、特に第六章で述べられている若者の組織の「アウマガ」や「娘と称号をもたない者の妻と未亡人」の組織の「アウアルマ」は若者組や娘組と類比できる。これを私は学部時代に学生同士の会話で知った。
以上から、「慰安婦」をめぐる議論に「乱流」をもたらした日本フェミニズムの一部は、知の退廃と相関していたと見なすことができる。この点について、さらに考察を加えよう。
82-7-2.知の退廃、「思考は言語で偽装する」
たとえ被害と加害の関係性であろうとも、研究のための批判は必須である。しかし「慰安婦」の証言=口述資料の検証や活動家との議論は、先述したとおり十分になしえていない。このため学問的発展は妨げられ、知の退廃の要因ともなっている。
ここで知識社会学や文化資本論を応用して、上野が所属していた東大文学部社会学科について見ると、その出身者の宮台真司は、マスメディアで公然と「ブルセラ(女子中高生たちのブルマーやセーラー服による合成語で性的刺激が隠喩)」や「援助交際(児童買春)」を肯定的に評価した*2。上野の「パンツ」と宮台の「ブルセラ」は言葉は異なるが、アカデミックに装った知の退廃では通底している。そこには、性とは種の存続に関わる本源的な営みで、これを認識できる人間にとって、とても厳粛な意味を有するという認識はない。
その徴候を、私は一九七〇年代に社会学科の学生として感得していた*1。丸山真男や日高六郎を踏まえ、「理論信仰」よりも「実践信仰」や「実感信仰」を志向したのは、「理論」を装った欺瞞を察知したためである。確かに一学生として受けとめ方であるが、証言としてここに提出した。また後日、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの「思考は言語で偽装する」を読み*2、学生時代を思い起こした。この「偽装」、それに伴う欺瞞がバブルを経て知の退廃に到ったと捉えている。
これらを踏まえて、さらに先述した上野の「回答」を再論する。Ⅶで述べた意見をインターネットで発表すると、幾人かが応答した。発表の場には、VAWWRAC(戦争と女性への暴力リサーチ・アクション・センター)やWAM(アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館)などのメーリング・リストもあり、その中に上野も加わっていたものがあるが、彼女自身の反応はなく、知人から代弁が送られ、それに対して、私は次のように答えた。
何よりも、一五歳の少年への回答にも関わらず、全く「愛」に言及していない。これは官製の性教育で「愛」が極めて希薄であることと同然であり、少年が「愛」なしに性欲を安直に充足させるということの意味を理解していないことを表している。そして「愛」は、エリクソンが若い成人期のvirtue(徳=活力)に位置づけているとおり、重要な発達課題である。実際、愛を知らず性欲で動く者たちの関係性は、欲望の段階で止まったままである。さらに、発達が進まなければ、常に変化する存在である人間は、発達とは異なる変化、即ち退行や退廃へと向かう。上野が少年に説いたのは、これである。
この点は、性は種の存続に関わる本源的な営みで、これを認識できる人間にとって、極めて厳粛であるという認識に関わる。即ち、本能に従う生殖活動の進化・発展の到達点に「愛」があり、それが人間存在の根幹となっている。
この中の「本源的」について、上野の知人は「結婚をしない男女は一人前の人間ではない」という考え方で受けとめた。これに対して、そのような意味ではなく、「文脈を踏まえれば、そのように受けとめるのは誤解か曲解ではないか」と答え、「本源的」には人間存在論を込めているとして、次のように説明を加えた。
そもそも人間には大脳の理性や情緒もあるが、脊椎の先端に続いて形成されている延髄、橋、中脳、間脳の脳幹の心理機制もあり、脊椎から脳幹までの基本構造は魚類から哺乳類までほぼ共通している。この身体を以て、人間は精神を無限かつ無限に超える愛を有し得る(パスカル『パンセ』参照)。そして、子どもを産む産まないに関わらず慈愛、博愛をもって人類や地球のために努力する人々がいる。そのような修道士、修道女、僧侶たちに、私は出会ってきた。
また、上野の知人は、上野の書き方は「アモラル」であると述べた。「アモラル(amoral)」を使うことにより、道徳に反するインモラル(immoral)ではなく、道徳から離れ、さらには超えているという示唆が読みとれた。
これについて、次のように答えた。「文は人なり」の民衆知、或いはアカデミックに言い換えて文章心理学の応用で考えれば、「アモラル」な文と「アモラル」な心理には一定の相関関係があり、それらが「東大」や「朝日」などの「文化資本」で使われているところに、日本の「アモラル」な社会心理とも一定の相関関係があると考えられる。これにジョージ・H・ミードの象徴的相互作用論を応用することも有意義であろう。つまり「アモラル」な現象を研究することの意義は大きいと認識する。その上で、研究する自分が「アモラル」になれば、研究の客観性が問われる。ただ自分に合うからというのなら「オタク族」のレベルである。マックス・ウェーバーの「価値自由」やテオドール・アドルノの「反教養」など、社会学では必須の概念を踏まえた上で、回答文と回答者の「アモラル」について検討することも有意義であろう。それを通して「アモラル」か「インモラル」かの議論も進むであろう。
さらに、私は、この一ヶ月後に第4回日韓学術交流研究大会(2013年1月26日、神戸大学)で「複合的暴力に対する平和構築―性のハビトゥス(habitus)をめぐり」のテーマで報告するので、上野の回答は貴重な参考資料となると発言した。これに対して、別なメールで彼女は日本と韓国で話すことが違うから、この点を考慮したらいいという助言が届いた。これに対して、私は“国内の発言と国外の発言が違うのは、他にもいる。頭がいいので切り替えられるのだろうが(モードチェンジ、二枚舌等々)、それは要領がいいというレベルで、ウィトゲンシュタインの「思考は言語で偽装する」の好例であろう。ソクラテスやプラトンの「『悪いやつだが知恵がある』と言われる人がいるものだ」も当てはまる”と答えた。なお、そのメールでは「女性同士の対立は男性にとって高みの見物にできるものなので」とも記されていたが、これに対しては“そうしないように心がけている。性的少数者の対立、論争でも、そうしないようにしてきた(前掲『トランス・ジェンダーとして生きる』の後のこと)”と述べ、次のように提起した。
「朝日新聞に掲載された社会学者の回答に学び、愛を知らず、性欲を安直に満たしてよいと考えるようになった者が、もし無法状態の戦場に送り込まれたら、再び戦時性暴力を続発させるだろう。相手のことを配慮しないどころか、自分の生き方も大切にしないため、何でも好き放題に欲望を暴発させるようになる。さらに、そのような機会を求めて戦争を願うようにさえなる。このように考えるのは、考えすぎだろうか。『学者』と名乗る者であれば、問題が顕在化する前に徴候を察知・洞察し、広く警鐘を鳴らすべきだろう。特に選挙結果によれば改憲がますます切迫する状況において、私は決して考え過ぎだとは思わない。切迫とは臨界的かつ危機的(critical)であり、それを危険だが機会でもあると捉えて、発展に導き得るという意味である。そのためには真摯に厳粛に考え、安直を戒めねばならない。」
これに対して誰も答えず、議論は終わった。これもまた知的文化的水準を示している。上野の記した「経験豊富な熟女」「年上の女性」の「筆おろし」を、中国漢口慰安所における「厚化粧でも隠しきれない目尻にしわを刻んだ女が、息子といってよいほどの年若い初年兵をくどいてい」た状況と対比すればよい*1。「慰安婦」に関心のある者が多く加わるMLで、このような対比が全く出なかったのである。
以上から、この水準における議論は、たとえ激しく交わされてきたとしても限界があり、「慰安婦」研究もそれに規定されていると言わざるを得ない。
「慰安婦」という重大で厳粛な問題に対する責任ある態度は見出せない。
宮台が大澤真幸と共著で『おどろきの中国』(講談社現代新書、2013年、もう一人の共著者は橋爪大三郎)を出したことは、「おどろき」ではない。大澤が、2009年9月1日付で京都大学を辞職し、設けられていた後期授業は開講されなかった理由とともに、一考に値する。宮台も大澤も見田の系譜である(橋爪は近いが系譜とまで言えるかどうか詳らかではない)。
82-7-3.戸坂潤(日本のマルクス主義唯物論哲学者の代表的存在)の「サルマタモラル」論
上野の「スカートの下」、「パンティ」と対極において、戸坂は真摯に現実と格闘し、生き生きと「サルマタモラル論」を展開した。彼は現実に根ざし、鋭敏な「実践感覚」で、現実の清濁を十分に把握し、同時に学問をしっかりと消化し、活用できるから、自分の言葉で生き生きと表現できる。
以下のエピソードは、その典型例である。
石原辰郎「戸坂さんを思う」『戸坂潤全集月報』1(第二巻)一九六六年二月、四頁より。
「神田のある喫茶店で、戸坂さんと風刺について議論したことがあった。私は『風刺は被抑圧階級の思想闘争の一つの形態だ。階級のなくなった社会ではなくなるだろう』と主張した。戸坂さんは、『そんなことはない。思想の本質としての批判精神の現れの一つとして、ますますその本領を発揮して盛んになるだろう』というような意見だった。それに対して私は、『そういう考え方は、イデオロギーを階級的なものとしてとらえる見地が希薄ではなかろうか』というような反論を試みたように思うが、反論しながら自分の考え方の狭小さを強く反省させられたのだった。このような仕方で私は戸坂さんの教育を受けたのだった」
これは、ソクラテスの問答法、対話、産婆術を思わせる。
このような戸坂だからこそ、次のようである。
「一部の人々によって『身についたモラル』ということが強調され、モラル論議が盛んに行われたことがあった。私はそういう主張は、体験主義的な考え方を弄して科学的な考え方に挑戦するものであり、当時流行していた転向理論の片棒を担ぐものにすぎないと主張していた。戸坂さんはこの問題について初めあまりはっきりした態度を示さなかったが、ある日、会(唯物論研究会―引用者注)の事務所で、事務所に入って来るなり私らに、『身についたモラルというのはサルマタモラル論だよ。きたないよ』と、吐き捨てるようにいった。私は思わず快哉を叫んだ。戸坂さんの思想と私の思想が、暖かい血で交流したように感じたのである」
この「サルマタモラル論」を、私は院生時代(一九七九~八四年)に碓井正久教授から聞いた。教授は誰の言葉とは言わなかったが、庶民的な表現で意味を明快に伝えており、今でも記憶している。
上野と取り巻きの「パンティ」や「アモラル」は、戸坂同様に「きたないよ」と吐き捨てたいものだった。
この「サルマタモラル論」を、石原の文章を読み、文献として、しかも戸坂の言葉として確認できたのは、二十年以上も後であった。その間に忘れなかったのは、この言葉に込められた思想と実践の力と言える。
この生き生きとした表現を知った時、私は「うきがいサークル」(先述)という葛飾の高校生の生き生きとした表現を想い出した。
「モラル」に関して、お説教になることに注意し、内心の欲望、衝動を統制する外的な規範として考える必要がある。それもまた「内」と「外」の弁証法である。
科学と、科学的成果が出れば、それを悪用しかねない人間に必須の倫理の相関とも言える。
「自己否定」と言うなら、これくらいの自覚は必要である。
83.欺瞞・偽善、エセ批判、知の退廃
見田ゼミにおける教祖、側近、女官、信者のようなグループ・ダイナミクスは典型例であり、その後、学会、研究集会、シンポジウムなどでしばしば観察できた。特にプログラム終了後の会場、さらには懇親会は、格好のフィールドであった。
お偉いさんが、女子院生から質問される時に浮かべる笑顔には、富永教員が女子のゼミ生に見せた笑顔(『アイデンティティと時代』p.126)と共通していると観察していた。
かく言う私も、助手を数年勤めてもポストを得られないので、仕方なく懇親会などでビール片手にお偉いさんに挨拶回りしたが、元来が無愛想なので、効果はなかった。結局は公募で秋田大学に赴任できた。ムダな努力をしたものだと思うと同時に、お偉いさんの口添えなしだったので、誰にも気兼ねなく教育・研究に励めた。秋田大学の講座は、まことに学問の自由が尊重されていた。
後日「ビール片手だだめですよ。両手じゃなければ」と言われたが、その口調は冗談ではなかった。彼もまた就職にはとても苦労していた。
教祖、お偉いさん、その取り巻きのディスクールは表面では学問的だが、似て非なるものである。先述の「亜流」よりも、この似非(エセ)学問に注意しなければならない。
その批判は、批判のための批判であり、批判的思考ではない。批判は建設的でなければならない。否定の弁証法で、発展をもたらさねばならない。
先述の「脱学校」について言えば、完全な「脱」は、有限な人間では不可能だが、しかし、諦めると、学校・選抜を通した支配統制を容認・追従してしまう。学校における良い部分(完全な善がないのと同様、完全な悪もない)を認め、受けつつ、悪い部分を批判し、改善していくという、建設的な批判が求められる。
フロム、イリイチ、フレイレの系譜・比較などはゼミで。
84.「しらけ」
学生運動の「挫折」
分岐点は、1969年、東大安田講堂「落城」。
その後、
一方でセクト同士の「内ゲバ」の過激化
他方で「挫折」とともに「しらけ」が流行語になり、「しらけ鳥の歌」がヒット。テキストp.137
後者は「三無主義(無気力、無責任、無関心)」(テキストp.43)の延長で、「しらけ」が流行った時期は、「五無主義(三無主義に無感動、無作法)」など「無」が増えた。
85.知の退廃や衆愚の広がりとしての「イエスマン/ウーマン・・」
学歴主義や国家体制を批判する側における従順な「イエスマン/ウーマン・・」、テキストp.135-6
cf:Mjさんの「意義と任務の桁なんかでやりたくないね」、p.65とp.112
彼女は自分で「納得」しなければ動かないが、例外的で、「マージナル」。
そのような彼女でも、私の査問の時は動かなかった(動けなかった)。
86.右も左も真っ暗闇じゃござんせんか
「傷だらけの人生」
藤田まさと作詞、吉田正作曲、鶴田浩二歌、1970年リリース
セリフ「今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。」
歌詞「何から何まで真っ暗闇よ/筋の通らぬことばかり/右を向いても左を見ても/馬鹿と阿呆の絡み合い/どこに男の夢がある」
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