たつ氏との対話0212 「甘い」象徴的な暴力、ハイデガー、ニーチェ、アドルノなど
1.
「ひまわり学生運動」リーダー「負うべき法律の責任は負う」 肉を切らせて、骨を断つ、の精神か!
http://85666808.at.webry.info/201502/article_7.html
について、以下のコメントをいただいた。
「背水の陣」とも言いますが,中国のような 「醜悪」な社会情勢であるからこその「陣」なのでしょうか。日本において,「肉を切らせて骨を断つ」精神が発揮されるほどの「背水」な社会状況があるとは思い難い。この生温さこそが最大の敵かもしれぬ。
2.
たつ氏の「生温さこそが最大の敵かもしれぬ」について、「甘い」象徴的な暴力と考える。具体的に言えば、「過保護」、さらに「共感」、「癒し」などを使う人気取りの評論家、エセ学者の言論をあげることができる。栄養がないどころか、健康に悪い人工甘味料の類いである。
社会現象で言えば、「ゆるキャラ」もいいが、ほどほどにしていただきたい。その見極めが肝要と心得てござる。
また、台湾と中国との関係を踏まえると「法治」を身を以て示すことが、中国共産党一党独裁の「党治」、「人治」への痛烈な批判となっている。
知人を介しての間接的な情報だが、父親の病死について、周囲に「PM2.5のせいだ」とさえ言えないという。言えば「デマ」を広めたと検挙されるので、ビクビクしている。
だからこそ、北京の空気のひどさは映像で明白なのに、環境や健康を守るための運動が起きないのである。権力の恐ろしさは、基本的に秦の始皇帝やチンギス・ハンと変わっていないと言っても過言ではない。決して統治方法が優れているわけではないのに、13億以上を支配できるのは、王朝支配と同様の恐怖政治だからである。
3.
「私はケンジ」続:グローバルな高度情報化による強烈な刺激(タナトス)から安全を守るために
http://85666808.at.webry.info/201502/article_5.html
について、以下のコメントをいただいた。
最近連続して放送される「猟奇的事件」の類には無視できないところがありますね。
「生半可な知識のある(アドルノの「半教養」の類い)は、「因果関係は分からない」などと言い出す。」
には笑いました。
分からないから追求・研究するのが「教養人」でしょう。
あくまでも言葉面ですが,彼らを「半教養」などと。「教養」の「き」の字も認めたくないですね。何のための「教養という知識」なのか。社会のためにその「知識」を用いないのであれば宝の持ち腐れ,しいて言うならば「教養があるだけ人」ですね。
分からないからこそ考え,仮説を立てて考察して解決に向かうよう努力したいですね。
4.
「「教養」の「き」の字も認めたくない」のは同感である。
そこで、学兄はハイデガーを学んでいることを踏まえて、一言。
アドルノは『本来性という隠語-ドイツ的なイデオロギーについて-(Jargon der Eigentlichkeit zur deutschen Ideologie)』
テオドール・アドルノ/笠原賢介訳、未來社、1992年、
ハイデガーは「本来性」を、彼の「実存論的存在論」の「哲学的述語」として「導入」したと述べ(p.9)
「ニーチェがもっと長生きであったならば」、この「本来性」という「隠語に吐き気を催していたことであろう」と指摘した(pp.15-16)。
アドルノはヤスパースたちも「隠語の達人」と捉えるが、ハイデガーは「慎重」なので、それ程「あけすけ」ではなく、「間接的にそのノルマを果たしている」という(p.31)。
この場合の「ノルマ」とは、哲学者、頭がいい者と人々に見せるための「ノルマ」と言えるだろうか?
小生の観るところ、学兄にはニーチェやアドルノが合っていると存ずるが、如何に?
5.
かくいう某(それがし)も、以前はハイデガーを読まねばと努力した。
この年になって思うに、「故郷喪失が世界の運命となる」など、カッコいい! だからハンナ某なども熱を上げたのだろう。
しかし、次第に「慎重」どころか、小心翼々としたずる賢さが目に付く。この点をアドルノたちが指摘するのである。
より具体的にはヴィクトル・ファリアスの『ハイデガーとナチズム(山本尤訳、名古屋大学出版会、1990年)。アドルノの後進のハバマスの論文も読みごたえがある。
他のコメントに関しては、また後で
「ひまわり学生運動」リーダー「負うべき法律の責任は負う」 肉を切らせて、骨を断つ、の精神か!
http://85666808.at.webry.info/201502/article_7.html
について、以下のコメントをいただいた。
「背水の陣」とも言いますが,中国のような 「醜悪」な社会情勢であるからこその「陣」なのでしょうか。日本において,「肉を切らせて骨を断つ」精神が発揮されるほどの「背水」な社会状況があるとは思い難い。この生温さこそが最大の敵かもしれぬ。
2.
たつ氏の「生温さこそが最大の敵かもしれぬ」について、「甘い」象徴的な暴力と考える。具体的に言えば、「過保護」、さらに「共感」、「癒し」などを使う人気取りの評論家、エセ学者の言論をあげることができる。栄養がないどころか、健康に悪い人工甘味料の類いである。
社会現象で言えば、「ゆるキャラ」もいいが、ほどほどにしていただきたい。その見極めが肝要と心得てござる。
また、台湾と中国との関係を踏まえると「法治」を身を以て示すことが、中国共産党一党独裁の「党治」、「人治」への痛烈な批判となっている。
知人を介しての間接的な情報だが、父親の病死について、周囲に「PM2.5のせいだ」とさえ言えないという。言えば「デマ」を広めたと検挙されるので、ビクビクしている。
だからこそ、北京の空気のひどさは映像で明白なのに、環境や健康を守るための運動が起きないのである。権力の恐ろしさは、基本的に秦の始皇帝やチンギス・ハンと変わっていないと言っても過言ではない。決して統治方法が優れているわけではないのに、13億以上を支配できるのは、王朝支配と同様の恐怖政治だからである。
3.
「私はケンジ」続:グローバルな高度情報化による強烈な刺激(タナトス)から安全を守るために
http://85666808.at.webry.info/201502/article_5.html
について、以下のコメントをいただいた。
最近連続して放送される「猟奇的事件」の類には無視できないところがありますね。
「生半可な知識のある(アドルノの「半教養」の類い)は、「因果関係は分からない」などと言い出す。」
には笑いました。
分からないから追求・研究するのが「教養人」でしょう。
あくまでも言葉面ですが,彼らを「半教養」などと。「教養」の「き」の字も認めたくないですね。何のための「教養という知識」なのか。社会のためにその「知識」を用いないのであれば宝の持ち腐れ,しいて言うならば「教養があるだけ人」ですね。
分からないからこそ考え,仮説を立てて考察して解決に向かうよう努力したいですね。
4.
「「教養」の「き」の字も認めたくない」のは同感である。
そこで、学兄はハイデガーを学んでいることを踏まえて、一言。
アドルノは『本来性という隠語-ドイツ的なイデオロギーについて-(Jargon der Eigentlichkeit zur deutschen Ideologie)』
テオドール・アドルノ/笠原賢介訳、未來社、1992年、
ハイデガーは「本来性」を、彼の「実存論的存在論」の「哲学的述語」として「導入」したと述べ(p.9)
「ニーチェがもっと長生きであったならば」、この「本来性」という「隠語に吐き気を催していたことであろう」と指摘した(pp.15-16)。
アドルノはヤスパースたちも「隠語の達人」と捉えるが、ハイデガーは「慎重」なので、それ程「あけすけ」ではなく、「間接的にそのノルマを果たしている」という(p.31)。
この場合の「ノルマ」とは、哲学者、頭がいい者と人々に見せるための「ノルマ」と言えるだろうか?
小生の観るところ、学兄にはニーチェやアドルノが合っていると存ずるが、如何に?
5.
かくいう某(それがし)も、以前はハイデガーを読まねばと努力した。
この年になって思うに、「故郷喪失が世界の運命となる」など、カッコいい! だからハンナ某なども熱を上げたのだろう。
しかし、次第に「慎重」どころか、小心翼々としたずる賢さが目に付く。この点をアドルノたちが指摘するのである。
より具体的にはヴィクトル・ファリアスの『ハイデガーとナチズム(山本尤訳、名古屋大学出版会、1990年)。アドルノの後進のハバマスの論文も読みごたえがある。
他のコメントに関しては、また後で
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