平和のための教育 5.28 講義ノートなど
<共同学習・補充>
Q:脱亜論、アジアの解放など(多く,様々)
山田:議論すべき。「問に充ちた答」。考え、議論し続けること。
Q:金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」の「みんなちがって、みんないい」
山田:そう思う。
Q:孫文について(複数)
山田:中国人の漢民族。「三民主義」の「民族」は漢民族の「民族」が主と見なす。
Q:映画
西郷隆盛を思わせるのが「ラスト・サムライ(The Last Samurai )」(2003年のアメリカ映画)
日本軍が軍糧を供出し中国人飢餓難民を救済した史実をモチーフにした「温故一九四二」
ブログ:
「温故一九四二」の描く日本軍の軍糧供出の飢餓難民救済:例外ではなく、上海戦や南京戦などでも
http://85666808.at.webry.info/201501/article_8.html
「永遠の0」
ブログ:
「永遠の0」を観て、特攻隊員だった父のことを想う
http://85666808.at.webry.info/201401/article_4.html
「風立ちぬ」
ブログ:
宮崎監督「風立ちぬ」を、かつてセツルメントで歌われた「だれが風を見たでしょう」等から考える 第8稿
http://85666808.at.webry.info/201405/article_15.html
Q:小学生のころ、8月6日、戦争映画を見せられ、「とてもぐろくて」、「大泣き」
山田:似た体験はいくつも聞く。発達段階に合わせる。
さらに、芸術的に昇華させた作品を。
昇華は美化ではない。
心に刻むアウシュヴィッツ巡回展を進めた青木進々は優れたデザイナーであった。
Q:流行歌について(複数)。
山田:軍歌が主だが、その中に
『戦中戦後 少年の日記』資料
「蘇州夜曲」
君がみ胸に/抱かれて聞くは/夢の船唄/鳥の唄/水の蘇州の/花散る春を/惜しむか柳が/すすり泣く……
「夜来香(イエライシャン)」
あわれ春風に/嘆くうぐいすよ/月に切なくも/匂う夜来香/この香りよ/長き夜の泪(なみだ)/唄ううぐいすよ/恋の夢消えて/残る夜来香/この夜来香/夜来香/白い花夜来香/恋の花ああ/胸痛く/唄かなし
Q:アジアの中の中国や日本、日中関係について(複数)
山田:日本は東洋的専制には含まれないところがあるが、地理的に東洋、そしてアジアに位置する。また、知識の単位たる漢字からはじまり、大陸や半島の知識や技術を学んできた歴史もある。
補充として『アイデンティティと戦争』「はじめに」で述べた
靖国神社や終戦の詔勅(玉音放送)における中国古典の引用は、この関連で考えられる。
これは西田や三木の思想にも関わる。『平和教育の思想と実践』参照。
Q:適塾には大村益次郎もいた。
山田:私は司馬遼太郎の『花神』を読んだ程度。
第7回 明治維新、日清戦争、日露戦争、辛亥革命、第一次大戦、第二次大戦、中国革命
34.二つの世界大戦、無数の局地戦、冷戦、代理戦争、
グローバルで重層的な「戦国時代」
第一次大戦
ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアの同盟国と、イギリス・フランス・ロシアなどの連合国(協商国とも称する)の二大勢力の戦争。
後に日本、アメリカ合衆国も連合国側に加わる。イタリアは三国同盟の一国であったが連合国側に加わった。
第二次大戦
ファシズム(枢軸国)vs.反ファシズム(連合国)の二大勢力の戦争。
内実は複雑で重層的。
34-1.
レーニンは帝国主義の戦争
孫文は西洋の覇道
国連は「戦争と暴力の20世紀」(そして「平和と非暴力の21世紀」と提起するが、、、)
そして、山田はグローバルな「戦国時代」と捉える。
34-2.
さらに、中国大陸では革命と内戦で、やはり「戦国時代」
34-3.
この重層的な「戦国時代」における日中戦争(中国では「抗日戦争」)
35.日本とロシア革命派
ゲルショニは中国革命が成功したらロシア革命を支援してほしいと孫文に求めたが、孫文は万里の長城より北は考えないと拒否した。事実、彼は辛亥革命は成功させたが、その後、袁世凱により権力を簒奪され、孫文も袁世凱も死去した後は、中国は内戦状態になったので、中国革命からロシア革命へという展開はなされなかった。謂わば、孫文は己の限界を自覚していた。
次に日本について見ると、日露戦争における明石元二郎大佐(後に大将)の活動が重要である。
彼はロシア革命派を支援する特務工作を進めた。具体的に言えば、情報の収集、ストライキ、サボタージュ、武力蜂起などであり、事実、日露戦争においてロシア国内は不穏となり、厭戦気分が増大するとともに、革命運動が広がった(戦艦ポチョムキンにおける水平の反乱など)。そして、皇帝ニコライ二世は十月勅令でドゥーマ(国会)開設と憲法制定を表明し、ブルジョワジーを基盤とする立憲民主党(カデット)の支持を得て革命運動を一時的に鎮静化させた。
勿論、明石大佐はじめ日本の工作だけでなく、日英同盟による英国の工作も考えなければならない。
『落花流水:明石元二郎大将遺稿』(陸軍参謀本部に対する復命書、国立国会図書館所蔵) 広瀬順晧監修・編・解題『近代外交回顧録』第2巻、近代未刊史料叢書5、ゆまに書房、2000年所収
そして、これで終わったと見るのは甘いと、私は睨む。
1917年のロシア革命
傍証として天皇共産主義(『平和教育の思想と実践』参照)
そして、ゾルゲの役割
36.西欧の封建制の衰退
ハプスブルク家の没落/民主主義、社会主義の台頭
エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ(1837年~1898年)、オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝(兼国王)フランツ・ヨーゼフ一世の皇后で、ハプスブルク家最後の皇后。「シシィ」の愛称で知られる。
1898年9月、旅行中のジュネーヴ・レマン湖のほとりで、イタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニに鋭く研ぎ澄まされた短剣のようなヤスリで心臓を刺され、殺害された。
バルカン半島は「文明の十字路」と呼ばれていたが,第一次大戦前は「ヨーロッパの火薬庫」と称された。
世界を主導してきた欧州の矛盾が集約
旧ユーゴスラビアは、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教(カトリック、正教、イスラム)、二つの文字(キリル文字とラテン文字)、そして一つの連邦と言われていたが、ベルリンの壁の崩壊後、民族紛争が勃発し,分裂した。
「サラエボ事件」
1914年6月28日にオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝・国王の継承者フランツ・フェルディナント夫妻が、サラエボ(当時オーストリア領、現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)を視察中、ボスニア系セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された事件。この事件がきっかけとなって、第一次世界大戦が開戦した。
37.後進ドイツの3B政策vs.先進イギリスの3C政策
3B政策
1899年、ドイツはトルコからバグダッド鉄道の敷設権を獲得する。この計画は、トルコのコニアから、バグダッド、ペルシア湾へと続く長大な鉄道を敷設するというもの。
この計画で、ドイツは、ベルリン(Berlin)~ビザンティウム(Byzantium、現在のイスタンブール)~バグダッド(Baghdad)を結ぶ広大な地域への進出を目指すようになる。
3C政策
イギリスは、カイロ(Cairo)~ケープタウン(Cape Town)~カルカッタ(Calcutta)を結ぶ3C政策で,ドイツの3B政策に対抗。
38.第一次大戦の反省
38-1.国際連盟
1920(大正9)年に設立
新渡戸稲造
国際連盟設立に際し、東京帝国大学教授、『武士道』の著者、エスペランティストとして国際的に著名な新渡戸が事務次長の一人に選ばれた。東京帝大経済学部で植民政策を担当していたが辞職し、後任は矢内原忠雄となる。
新渡戸は七年間務め、1926(大正15)年に退任した。
38-2.
イギリス「1919年レポート」、そこにおける「生涯教育」(『平和教育の思想と実践』参照)
「万人」の、「ライフロング」の=誰でも、いつでも,教育を受けることができるようにという提起。
39.第二次大戦へ
日本は脱退まで国際連盟の常任理事国
柳条湖事件、満州事変により日本が満州全土を制圧すると、中華民国は連盟に提訴した。連盟はイギリスのブルワー=リットンを団長とするリットン調査団を派遣した。リットン調査団は日本の満州における“特殊権益”は認めたが、満州事変は正当防衛には当たらず、満州を中国に返した上で日本を含めた外国人顧問の指導下で自治政府を樹立するように報告した(「リットン報告書」)。
1933年2月24日、国際連盟特別総会においてリットン報告が審議され、賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム =現タイ)、投票不参加1国(チリ)となった。これに対して、松岡洋右日本全権大使は「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」と表明し、会場を去った(新聞は「連盟よさらば! 連盟、報告書を採択し我が代表堂々退場す」と報道)。
同年3月27日、日本は正式に国際連盟に脱退を表明し、同時に脱退に関する詔書が発布された(脱退の正式発効は、2年後の1935年3月27日)。
ナチス・ドイツのヒトラー内閣は、1933年10月、国際連盟に脱退を通告する。
(その要因として、『希望への扉』参照)
39-1.
日独防共協定(Antikominternpakt)
1936(昭和11)年11月25日、日本とドイツの間で調印された国際共産主義運動「インターナショナルに対する協定」
国際共産主義運動を指導するコミンテルンへの対抗、防衛を謳う。
1937年、イタリア王国が原署名国として加盟
39-2.
ただし、南京戦の時、ドイツは蒋介石の中国軍(国民党軍)に軍事顧問団を派遣。
『「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む』解説論文等参照。
ポーランド侵攻
1939年9月1日にドイツ軍とその同盟軍のスロバキア軍が侵攻
さらに、同年9月17日にソ連軍も侵攻
第二次大戦の勃発
40.第二次大戦
40-1.
日独伊三国同盟
1940(昭和15)年9月27日、締結
その後の「枢軸国」の基軸。
40-2.
日本の対米英開戦
1941年12月8日、真珠湾やマレー半島への攻撃
『アイデンティティと戦争』p.9参照。
40-3.
ABCD包囲網(ABCD ライン等々)
1930年代後半、日本が中国から仏印へと勢力を拡大したことに対して、枢軸国に対する連合国が、国際連盟規約16条を根拠に行った経済制裁的な貿易制限。
当時の日本が付けた名称で、「ABCD」とは、制限を行っていたアメリカ(America)、イギリス(Britain)、オランダ(Dutch)と、対戦国であった中華民国(China)の頭文字に由る。
それ故、ソ連、コミンテルン、中国共産党の動きが鍵になる。
アジア・太平洋戦争という概念があり、この次元と、
その中の日中戦争(抗日戦争)と、
太平洋戦争
を区分すると、
日本対米英の構図
41.中国における内戦、権力・兵力の乱立
日中戦争において日本軍と戦ったのは蒋介石の国民党軍であり、毛沢東の共産党軍は本格的な戦闘を控え、ただプロパガンダを展開。
中国大陸は革命と内戦で、統一されていなかった。
蒋介石、毛沢東のみならず
山西省を縄張りにした軍閥の閻錫山
そして、親日派、対日協力者(所謂「漢奸」、売国奴)
傀儡政権(ニセチャイナ)
参考:
広中一成『ニセチャイナ-満洲・蒙疆・冀東・臨時・維新・南京-』(20世紀中国政権総覧v.1.中国傀儡政権)社会評論社、2013年、
なお「青年訓練」をめぐり新民会と日本軍の対立*1
八路軍の民衆工作、「春耕工作」と「秋収工作」・・農繁期に合わせた「工作」・・民衆を「恐怖」で支配*2
「転向者」州之内徹は中国の戦地で既に田村泰次郎と「親交」*3
41-1.親日派(所謂「傀儡」)の権力、政権
満州国、1932年3月1日成立宣言、溥儀
2日後の8月17日に、重臣会議は廃止を決定、翌18日未明に溥儀は退位の詔勅を公布した。
蒙古聯合自治政府、徳王、1939年9月1日、成立。1945年8月9日のソ連侵攻により崩壊。
冀東防共自治政府(1935年から1938年まで河北省)、殷汝耕
中華民国臨時政府(1937年12月14日から、王克敏。1940年に南京で汪兆銘が南京国民政府の成立を宣言すると、解散し、華北政務委員会に改編。
中華民国維新政府、1938年3月28日、南京で成立、梁鴻志。汪兆銘の南京国民政府が成立すると、3月29日に南京国民政府に編入
南京国民政府、汪兆銘(汪精衛)1940年3月30日、成立の式典が挙行。
41-2.
「傀儡」、「偽(ニセ)」と規定するが、それを行う者は?
中国共産党は、戦後、毛沢東は遠藤三郎元中将の訪中団や佐々木社会党委員長(当時)の訪中団を歓迎していた。
42.虚と実が交錯・錯綜して展開
クラウゼヴィッツに拠れば/寄れば、
「敵を欺くには、まず身方から」
実と見せる虚
・・と見せる実
・・と見せる虚
・・・・
しかも、その差は微妙な駆け引き
虚が実になり、また虚になり……
謀略が錯綜し、氾濫し、叛乱を呼び起こし、自壊、自滅に陥る。
大西郷の遺訓に学び、それを見抜く力量を獲得しつつ、悪用せず、平和を維持・発展させる。
平和教育の課題
歴史認識やメディア・リテラシーの課題でもある。
43.グローバルな戦国時代における日本の海外拡張
確かに,以下の戦争で日本は勢力を拡張したが、イギリスの「3C」程ではない。
イギリスは「日の沈まぬ帝国」
それに追いつき,追い越そうとしたのが、後進の日本(ドイツも)
台湾出兵(1974年)、江華島事件(1875年)、一八九五年十月八日、大韓王妃、閔妃虐殺(乙未事件、1895年)。日・独・露・英・米・仏・オーストリア・伊の八カ国連合軍の北京攻略(1900年)、日清戦争(1894-95年)、日露戦争(1904-05年)、第一次大戦(1914-18年)、シベリア出兵(1918-22年)、山東出兵(1927-28年)、柳条湖事件(1931年)、傀儡満州国建国(1932年)、37年7月7日の盧溝橋事件から、上海戦、南京戦と短期決戦の電撃作戦で進撃し、中国大陸で侵略戦争を拡大、41年対米英開戦、第二次世界大戦。
43-1.
海外での勢力拡大と相関した
国内と統治地域(植民地)では、
「大正成金」のバブル
昭和恐慌
治安維持法による弾圧を強め、反戦平和の言論と運動を抑えつける圧政。
44.大戦後
第一次大戦では、大きく、同盟国vs.連合国
第二次大戦では、大きく、ファシズム(枢軸国)vs.反ファシズム(連合国)
世界大戦は一応終わったが、完全ではなく、反ファシズムの中の独裁(ソ連と中国=毛沢東と蒋介石は五十歩百歩)vs.自由・民主・人権、反帝国主義vs.帝国主義などが絡み合い、現在は独裁において危機が深刻化し、緊張が高まっている
また、米国は超大国になり、西欧諸国は発展するが、差は縮まらず。
日本は敗北するが、経済大国になり、現在は「積極的平和主義」、「集団安全保障」へと。
44-1.連合国から国連へ
「集団安全保障」は、国連の基本原則。
その中で、日本にとって、「敵国条項」の意味、機能、
・・二一世紀の視座から見て、一九四五年八月十五日のポツダム宣言受諾、九月二日の連合国(United Nations)への降伏文書調印(東京湾の米軍戦艦ミズーリにて)、一九五一年九月八日の日本国との平和条約(対日講和条約、サンフランシスコ条約)と日米安全保障条約の署名、翌一九五二年の国際連合(The United Nations)加盟申請、ソ連などの反対による不承認、一九五六年十月の日ソ共同宣言とソ連との国交回復、同年十二月十八日の国連総会での全会一致の承認による加盟という歴史の中で評価しなければならない。その後、一九七二年に中華人民共和国と国交が正常化された。
ただし、ドイツや日本などに関する国連の敵国条項は、一九九五年十二月十一日、総会で、賛成多数により憲章第五三条と第一〇七条の削除が決議されたが、今日においてなお、この決議を批准した国は効力発生に必要な数には及ばず、敵国条項は依然として憲章に位置づけられたままとなっている。即ち、第二次大戦の枠組みを完全に脱してはいない。・・「東京裁判」ファイル
Q:脱亜論、アジアの解放など(多く,様々)
山田:議論すべき。「問に充ちた答」。考え、議論し続けること。
Q:金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」の「みんなちがって、みんないい」
山田:そう思う。
Q:孫文について(複数)
山田:中国人の漢民族。「三民主義」の「民族」は漢民族の「民族」が主と見なす。
Q:映画
西郷隆盛を思わせるのが「ラスト・サムライ(The Last Samurai )」(2003年のアメリカ映画)
日本軍が軍糧を供出し中国人飢餓難民を救済した史実をモチーフにした「温故一九四二」
ブログ:
「温故一九四二」の描く日本軍の軍糧供出の飢餓難民救済:例外ではなく、上海戦や南京戦などでも
http://85666808.at.webry.info/201501/article_8.html
「永遠の0」
ブログ:
「永遠の0」を観て、特攻隊員だった父のことを想う
http://85666808.at.webry.info/201401/article_4.html
「風立ちぬ」
ブログ:
宮崎監督「風立ちぬ」を、かつてセツルメントで歌われた「だれが風を見たでしょう」等から考える 第8稿
http://85666808.at.webry.info/201405/article_15.html
Q:小学生のころ、8月6日、戦争映画を見せられ、「とてもぐろくて」、「大泣き」
山田:似た体験はいくつも聞く。発達段階に合わせる。
さらに、芸術的に昇華させた作品を。
昇華は美化ではない。
心に刻むアウシュヴィッツ巡回展を進めた青木進々は優れたデザイナーであった。
Q:流行歌について(複数)。
山田:軍歌が主だが、その中に
『戦中戦後 少年の日記』資料
「蘇州夜曲」
君がみ胸に/抱かれて聞くは/夢の船唄/鳥の唄/水の蘇州の/花散る春を/惜しむか柳が/すすり泣く……
「夜来香(イエライシャン)」
あわれ春風に/嘆くうぐいすよ/月に切なくも/匂う夜来香/この香りよ/長き夜の泪(なみだ)/唄ううぐいすよ/恋の夢消えて/残る夜来香/この夜来香/夜来香/白い花夜来香/恋の花ああ/胸痛く/唄かなし
Q:アジアの中の中国や日本、日中関係について(複数)
山田:日本は東洋的専制には含まれないところがあるが、地理的に東洋、そしてアジアに位置する。また、知識の単位たる漢字からはじまり、大陸や半島の知識や技術を学んできた歴史もある。
補充として『アイデンティティと戦争』「はじめに」で述べた
靖国神社や終戦の詔勅(玉音放送)における中国古典の引用は、この関連で考えられる。
これは西田や三木の思想にも関わる。『平和教育の思想と実践』参照。
Q:適塾には大村益次郎もいた。
山田:私は司馬遼太郎の『花神』を読んだ程度。
第7回 明治維新、日清戦争、日露戦争、辛亥革命、第一次大戦、第二次大戦、中国革命
34.二つの世界大戦、無数の局地戦、冷戦、代理戦争、
グローバルで重層的な「戦国時代」
第一次大戦
ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアの同盟国と、イギリス・フランス・ロシアなどの連合国(協商国とも称する)の二大勢力の戦争。
後に日本、アメリカ合衆国も連合国側に加わる。イタリアは三国同盟の一国であったが連合国側に加わった。
第二次大戦
ファシズム(枢軸国)vs.反ファシズム(連合国)の二大勢力の戦争。
内実は複雑で重層的。
34-1.
レーニンは帝国主義の戦争
孫文は西洋の覇道
国連は「戦争と暴力の20世紀」(そして「平和と非暴力の21世紀」と提起するが、、、)
そして、山田はグローバルな「戦国時代」と捉える。
34-2.
さらに、中国大陸では革命と内戦で、やはり「戦国時代」
34-3.
この重層的な「戦国時代」における日中戦争(中国では「抗日戦争」)
35.日本とロシア革命派
ゲルショニは中国革命が成功したらロシア革命を支援してほしいと孫文に求めたが、孫文は万里の長城より北は考えないと拒否した。事実、彼は辛亥革命は成功させたが、その後、袁世凱により権力を簒奪され、孫文も袁世凱も死去した後は、中国は内戦状態になったので、中国革命からロシア革命へという展開はなされなかった。謂わば、孫文は己の限界を自覚していた。
次に日本について見ると、日露戦争における明石元二郎大佐(後に大将)の活動が重要である。
彼はロシア革命派を支援する特務工作を進めた。具体的に言えば、情報の収集、ストライキ、サボタージュ、武力蜂起などであり、事実、日露戦争においてロシア国内は不穏となり、厭戦気分が増大するとともに、革命運動が広がった(戦艦ポチョムキンにおける水平の反乱など)。そして、皇帝ニコライ二世は十月勅令でドゥーマ(国会)開設と憲法制定を表明し、ブルジョワジーを基盤とする立憲民主党(カデット)の支持を得て革命運動を一時的に鎮静化させた。
勿論、明石大佐はじめ日本の工作だけでなく、日英同盟による英国の工作も考えなければならない。
『落花流水:明石元二郎大将遺稿』(陸軍参謀本部に対する復命書、国立国会図書館所蔵) 広瀬順晧監修・編・解題『近代外交回顧録』第2巻、近代未刊史料叢書5、ゆまに書房、2000年所収
そして、これで終わったと見るのは甘いと、私は睨む。
1917年のロシア革命
傍証として天皇共産主義(『平和教育の思想と実践』参照)
そして、ゾルゲの役割
36.西欧の封建制の衰退
ハプスブルク家の没落/民主主義、社会主義の台頭
エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ(1837年~1898年)、オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝(兼国王)フランツ・ヨーゼフ一世の皇后で、ハプスブルク家最後の皇后。「シシィ」の愛称で知られる。
1898年9月、旅行中のジュネーヴ・レマン湖のほとりで、イタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニに鋭く研ぎ澄まされた短剣のようなヤスリで心臓を刺され、殺害された。
バルカン半島は「文明の十字路」と呼ばれていたが,第一次大戦前は「ヨーロッパの火薬庫」と称された。
世界を主導してきた欧州の矛盾が集約
旧ユーゴスラビアは、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教(カトリック、正教、イスラム)、二つの文字(キリル文字とラテン文字)、そして一つの連邦と言われていたが、ベルリンの壁の崩壊後、民族紛争が勃発し,分裂した。
「サラエボ事件」
1914年6月28日にオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝・国王の継承者フランツ・フェルディナント夫妻が、サラエボ(当時オーストリア領、現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)を視察中、ボスニア系セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された事件。この事件がきっかけとなって、第一次世界大戦が開戦した。
37.後進ドイツの3B政策vs.先進イギリスの3C政策
3B政策
1899年、ドイツはトルコからバグダッド鉄道の敷設権を獲得する。この計画は、トルコのコニアから、バグダッド、ペルシア湾へと続く長大な鉄道を敷設するというもの。
この計画で、ドイツは、ベルリン(Berlin)~ビザンティウム(Byzantium、現在のイスタンブール)~バグダッド(Baghdad)を結ぶ広大な地域への進出を目指すようになる。
3C政策
イギリスは、カイロ(Cairo)~ケープタウン(Cape Town)~カルカッタ(Calcutta)を結ぶ3C政策で,ドイツの3B政策に対抗。
38.第一次大戦の反省
38-1.国際連盟
1920(大正9)年に設立
新渡戸稲造
国際連盟設立に際し、東京帝国大学教授、『武士道』の著者、エスペランティストとして国際的に著名な新渡戸が事務次長の一人に選ばれた。東京帝大経済学部で植民政策を担当していたが辞職し、後任は矢内原忠雄となる。
新渡戸は七年間務め、1926(大正15)年に退任した。
38-2.
イギリス「1919年レポート」、そこにおける「生涯教育」(『平和教育の思想と実践』参照)
「万人」の、「ライフロング」の=誰でも、いつでも,教育を受けることができるようにという提起。
39.第二次大戦へ
日本は脱退まで国際連盟の常任理事国
柳条湖事件、満州事変により日本が満州全土を制圧すると、中華民国は連盟に提訴した。連盟はイギリスのブルワー=リットンを団長とするリットン調査団を派遣した。リットン調査団は日本の満州における“特殊権益”は認めたが、満州事変は正当防衛には当たらず、満州を中国に返した上で日本を含めた外国人顧問の指導下で自治政府を樹立するように報告した(「リットン報告書」)。
1933年2月24日、国際連盟特別総会においてリットン報告が審議され、賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム =現タイ)、投票不参加1国(チリ)となった。これに対して、松岡洋右日本全権大使は「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」と表明し、会場を去った(新聞は「連盟よさらば! 連盟、報告書を採択し我が代表堂々退場す」と報道)。
同年3月27日、日本は正式に国際連盟に脱退を表明し、同時に脱退に関する詔書が発布された(脱退の正式発効は、2年後の1935年3月27日)。
ナチス・ドイツのヒトラー内閣は、1933年10月、国際連盟に脱退を通告する。
(その要因として、『希望への扉』参照)
39-1.
日独防共協定(Antikominternpakt)
1936(昭和11)年11月25日、日本とドイツの間で調印された国際共産主義運動「インターナショナルに対する協定」
国際共産主義運動を指導するコミンテルンへの対抗、防衛を謳う。
1937年、イタリア王国が原署名国として加盟
39-2.
ただし、南京戦の時、ドイツは蒋介石の中国軍(国民党軍)に軍事顧問団を派遣。
『「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む』解説論文等参照。
ポーランド侵攻
1939年9月1日にドイツ軍とその同盟軍のスロバキア軍が侵攻
さらに、同年9月17日にソ連軍も侵攻
第二次大戦の勃発
40.第二次大戦
40-1.
日独伊三国同盟
1940(昭和15)年9月27日、締結
その後の「枢軸国」の基軸。
40-2.
日本の対米英開戦
1941年12月8日、真珠湾やマレー半島への攻撃
『アイデンティティと戦争』p.9参照。
40-3.
ABCD包囲網(ABCD ライン等々)
1930年代後半、日本が中国から仏印へと勢力を拡大したことに対して、枢軸国に対する連合国が、国際連盟規約16条を根拠に行った経済制裁的な貿易制限。
当時の日本が付けた名称で、「ABCD」とは、制限を行っていたアメリカ(America)、イギリス(Britain)、オランダ(Dutch)と、対戦国であった中華民国(China)の頭文字に由る。
それ故、ソ連、コミンテルン、中国共産党の動きが鍵になる。
アジア・太平洋戦争という概念があり、この次元と、
その中の日中戦争(抗日戦争)と、
太平洋戦争
を区分すると、
日本対米英の構図
41.中国における内戦、権力・兵力の乱立
日中戦争において日本軍と戦ったのは蒋介石の国民党軍であり、毛沢東の共産党軍は本格的な戦闘を控え、ただプロパガンダを展開。
中国大陸は革命と内戦で、統一されていなかった。
蒋介石、毛沢東のみならず
山西省を縄張りにした軍閥の閻錫山
そして、親日派、対日協力者(所謂「漢奸」、売国奴)
傀儡政権(ニセチャイナ)
参考:
広中一成『ニセチャイナ-満洲・蒙疆・冀東・臨時・維新・南京-』(20世紀中国政権総覧v.1.中国傀儡政権)社会評論社、2013年、
なお「青年訓練」をめぐり新民会と日本軍の対立*1
八路軍の民衆工作、「春耕工作」と「秋収工作」・・農繁期に合わせた「工作」・・民衆を「恐怖」で支配*2
「転向者」州之内徹は中国の戦地で既に田村泰次郎と「親交」*3
41-1.親日派(所謂「傀儡」)の権力、政権
満州国、1932年3月1日成立宣言、溥儀
2日後の8月17日に、重臣会議は廃止を決定、翌18日未明に溥儀は退位の詔勅を公布した。
蒙古聯合自治政府、徳王、1939年9月1日、成立。1945年8月9日のソ連侵攻により崩壊。
冀東防共自治政府(1935年から1938年まで河北省)、殷汝耕
中華民国臨時政府(1937年12月14日から、王克敏。1940年に南京で汪兆銘が南京国民政府の成立を宣言すると、解散し、華北政務委員会に改編。
中華民国維新政府、1938年3月28日、南京で成立、梁鴻志。汪兆銘の南京国民政府が成立すると、3月29日に南京国民政府に編入
南京国民政府、汪兆銘(汪精衛)1940年3月30日、成立の式典が挙行。
41-2.
「傀儡」、「偽(ニセ)」と規定するが、それを行う者は?
中国共産党は、戦後、毛沢東は遠藤三郎元中将の訪中団や佐々木社会党委員長(当時)の訪中団を歓迎していた。
42.虚と実が交錯・錯綜して展開
クラウゼヴィッツに拠れば/寄れば、
「敵を欺くには、まず身方から」
実と見せる虚
・・と見せる実
・・と見せる虚
・・・・
しかも、その差は微妙な駆け引き
虚が実になり、また虚になり……
謀略が錯綜し、氾濫し、叛乱を呼び起こし、自壊、自滅に陥る。
大西郷の遺訓に学び、それを見抜く力量を獲得しつつ、悪用せず、平和を維持・発展させる。
平和教育の課題
歴史認識やメディア・リテラシーの課題でもある。
43.グローバルな戦国時代における日本の海外拡張
確かに,以下の戦争で日本は勢力を拡張したが、イギリスの「3C」程ではない。
イギリスは「日の沈まぬ帝国」
それに追いつき,追い越そうとしたのが、後進の日本(ドイツも)
台湾出兵(1974年)、江華島事件(1875年)、一八九五年十月八日、大韓王妃、閔妃虐殺(乙未事件、1895年)。日・独・露・英・米・仏・オーストリア・伊の八カ国連合軍の北京攻略(1900年)、日清戦争(1894-95年)、日露戦争(1904-05年)、第一次大戦(1914-18年)、シベリア出兵(1918-22年)、山東出兵(1927-28年)、柳条湖事件(1931年)、傀儡満州国建国(1932年)、37年7月7日の盧溝橋事件から、上海戦、南京戦と短期決戦の電撃作戦で進撃し、中国大陸で侵略戦争を拡大、41年対米英開戦、第二次世界大戦。
43-1.
海外での勢力拡大と相関した
国内と統治地域(植民地)では、
「大正成金」のバブル
昭和恐慌
治安維持法による弾圧を強め、反戦平和の言論と運動を抑えつける圧政。
44.大戦後
第一次大戦では、大きく、同盟国vs.連合国
第二次大戦では、大きく、ファシズム(枢軸国)vs.反ファシズム(連合国)
世界大戦は一応終わったが、完全ではなく、反ファシズムの中の独裁(ソ連と中国=毛沢東と蒋介石は五十歩百歩)vs.自由・民主・人権、反帝国主義vs.帝国主義などが絡み合い、現在は独裁において危機が深刻化し、緊張が高まっている
また、米国は超大国になり、西欧諸国は発展するが、差は縮まらず。
日本は敗北するが、経済大国になり、現在は「積極的平和主義」、「集団安全保障」へと。
44-1.連合国から国連へ
「集団安全保障」は、国連の基本原則。
その中で、日本にとって、「敵国条項」の意味、機能、
・・二一世紀の視座から見て、一九四五年八月十五日のポツダム宣言受諾、九月二日の連合国(United Nations)への降伏文書調印(東京湾の米軍戦艦ミズーリにて)、一九五一年九月八日の日本国との平和条約(対日講和条約、サンフランシスコ条約)と日米安全保障条約の署名、翌一九五二年の国際連合(The United Nations)加盟申請、ソ連などの反対による不承認、一九五六年十月の日ソ共同宣言とソ連との国交回復、同年十二月十八日の国連総会での全会一致の承認による加盟という歴史の中で評価しなければならない。その後、一九七二年に中華人民共和国と国交が正常化された。
ただし、ドイツや日本などに関する国連の敵国条項は、一九九五年十二月十一日、総会で、賛成多数により憲章第五三条と第一〇七条の削除が決議されたが、今日においてなお、この決議を批准した国は効力発生に必要な数には及ばず、敵国条項は依然として憲章に位置づけられたままとなっている。即ち、第二次大戦の枠組みを完全に脱してはいない。・・「東京裁判」ファイル
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般傍聴者募集
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