「東京裁判」研究で、「河野談話」の二の舞にならないか?! 知の退廃に取り組み、改善すべき

1.
 六月一九~二一日、中国で、さらに世界でトップレベルになろうとする大学の国際評価に関わる会議に出た。
 議長は(オックスフォード~香港中文大学)、委員にはシカゴ大、UCLAなど当該分野の第一人者(他にヨーロッパや台湾からも)。
 小生の担当は「東京裁判」研究で、これは中国の国家重点プロジェクト=国策となっている。そして、上記のような国際評価を受ければ、国際世論でどうなるかという戦略は、当然、想定される。
 そして当然、日本はボーッとしていると、「河野談話」の二の舞になる。しっかりとした政策と調査研究プロジェクトを真剣に考えるべきである。
2.
 最終報告の小生の分担部分(東京裁判関係)では、昨年開催の国際的な会合は、conferenceではなく、symposiumとなった。私が、その会合はacademicであり、politicalではないため、前者は避けたいと説明したからである。
 次に、中国政府の公式見解は、日中戦争/抗日戦争を含む第二次世界大戦はファシズム対反ファシズムの戦争であるが、その表現は使わず「国際関係(international relations)や「大国のヘゲモニー(great-power hegemony)」となった。後者は、私の原稿では「パワー・ポリティクス」であったが、草案では「大国のヘゲモニー」となり、この方が意味が明瞭となると判断し、了解した。
 第三に、文中では「人道(humanity)」の言葉を繰り返した。これは普遍的価値であり、昨今の「七不講(大学で講義してはならない七つの事項で、普遍的価値はその一つで、秘密裏の通達)」に対する批判を内包させている。
3.
 この「七不講」に関して、会議の合間に中国人大学教員に尋ねると、「聞いたことがあるだけで、それ以上は知らない。全く気にしていない。ここは何でも言える」という答えだった。
 またヒアリングで院生に資料や情報について、何か要求があるかと質問したが、全く出なかった。出版やインターネットが制約されていることさえ知らない、或いは気にしていないようであった。
 そのため、以下の状況がある。
 博士課程後期の院生6人のヒアリングで、マルクス主義が話題になったので、マルクスの「フォイエルバッハに関するテーゼ」の第三の中の「教育者自身が教育されなければならない」を念頭に、院生たちに、マルクスは「フォイエルバッハに関するテーゼ」の中で「教育者」について述べているが、どう述べているのかと質問したが、誰も答えられなかった。その表情から「フォイエルバッハ」という名前さえ分からないようであった。
 この文言は、私が大学1年の頃に学び、感銘を受け、今でも憶えている。マルクス主義の基礎中の基礎と言える。
 この文言を思い出さなくとも、フォイエルバッハとマルクスの関係も、マルクス主義の基礎中の基礎である。そして、国際社会では、たとえマルクス主義者でなくとも、人文社会科学の研究者なら「教養」として知っているはずである。
 そのような研究者と、国際的な場で、マルクス主義や中華人民共和国(中国共産党政権)の立場で議論するには、基礎以上にマルクス、そしてエンゲルス、レーニン、毛沢東など、原典を踏まえて学ぶべきであろう。
 しかし、現実は、マルクス主義を語るが、マルクスについて知らないという状況である。「論語読みの論語知らず」の現代中国版で「マルクス主義語りのマルクス知らず」である。
4.
 また、教員のヒアリングでは、以下のように発言した。
 東京裁判の研究、そして再検討において、既に当時から論争となった人道に反する犯罪に関して言えば、アメリカ軍の広島や長崎の原爆、東京や大阪などの大空襲などによる無差別攻撃も問われる。これから再検討が議論されるようになるならば、日本人もこれらを取りあげ、再検討を求めるだろう。
 あらゆる戦争には加害と被害が入り交じっており、その割合の問題となる。決して責任を相対化するためではなく、実状を捉えるためである。
 最後の学長への報告会で、「東京裁判」は論争的なテーマであり、日中の間には意見の対立もあるが、貴学は、中国側とは異なる意見でも、シンポジウムや今回の会議などで発言の機会を設けている。これは大いに評価できるが、しかし、意見の異なる日本の研究者は、中国に来ようとしない者が多いという現状がある。それは、中国側に利用されるのを恐れているからである。その結果、中国での研究会などでは、専ら中国側と同じような意見の日本人学者が集まることになる。
 貴学の主催するシンポジウムなどは、そうではないことを示せれば、異なる意見の日本人研究者も参加し、多角的な議論ができ、豊富な成果を生み出すことが期待できる。これにより、日中のみならず、第三国の評価も高まり、ひいては国際的な評価も高まり、さらに研究も発展する。
5.
 このように日本人としての意見を出したが、昨年の国際シンポジウム、今回の国際的な評価を以て、中国での「東京裁判」の研究が国際的な「お墨付き」を得たということになるだろう。
 前々から、学問的な検証に耐えうる調査研究を行い、それを広く発信しなければならないと言ってきた。昨年のシンポジウムなど、いくつかの集まりで出会った外務省など関係者にも言ってきた。しかし、返信さえなく、「何を考えているのか?」と何度も思わされてきた。
6.
 上記のように、小生はできる限りのことをしたと自負するが、何とも、早口で英語をペラペラやられるとチンプンカンプンで(ドイツ人なども苦労していた様子)、大画面に映る英文を即座に読み、責任あるところだけ意見を表明するという程度であった。
 これからの世代は読む・書くだけでなく、バイリンガルの能力が必要と実感した。小生のレベルでも何とか出来たのは、周囲の支えがあったからである(中国人の方が私を評価している!)。
 他に何か起きるかなととも注意したが、無事帰国できた。
7.
 最後に、とても重要な点として、以下の作業を述べる。
 ヒアリングは第一日目の8:30-17:00。
 それから各委員は意見の原稿を執筆し、最後の委員は翌早朝。
 それを集約した草案を、8:30からの会議で印刷し、同時に大画面に映し、一文一文チェック、修正。
 第二草稿が10:30頃にでき、枚数は二倍に。
 それをまた一文一文チェック、修正。
 12:00過ぎに終了で、あわただしく昼食。
 13:30の学長への報告。
 最終報告書は、A4で12枚(おそらくさらに議長が文言を調整し、もう少し長くなるだろう)。
 この綿密さとスピードと比べると、日本が根回し、気配り、“KY”などでモタモタしてれば、東京裁判研究でも“ガラパゴス化”となる。そこには知の退廃の問題もある。
 繰り返すが、「河野談話」の二の舞は愚の骨頂である。
 是非、これを政策決定に関わる見識ある者に伝えるべきと、心から提言する。山田拝

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