「慰安婦」をめぐる吉田文献における捏造と朝日新聞の虚偽報道に関して: 根は深い

 朝日新聞が2014年8月5-6日と二日に渡り「慰安婦」問題を取りあげたことについて、「ご意見をぜひ伺いたいと思います。ブログの更新、ぜひ」との要請を受けたので、小生の考え方を述べてみる。
1.
 「慰安婦」問題が耳目を集めたのは、フェミニズムが時流・思潮に乗り、支援者に励まされ、自分が「慰安婦」だったと公開の場で証言する女性が現れた時であったと見ている(当時40代であった者の証言)。そして、戦時を知る指導層・権力層は、何とか取り繕うとしていたが、まさに「寝た」だけでなく、「永眠」したはずの「子」が起きたという衝撃を受けたように観察していた。
2.
 そのような状況において、吉田清治の捏造を含む書籍が取りあげられたのは、体制側がかなり慌てていたので、これは利用できると判断したためと考える。
 1989年の天安門事件やベルリンの壁の崩壊で社会主義の権威が凋落した状況下で、「慰安婦」問題は、体制批判として飛びつきたくなるものであった。歴史の政治的な悪用である。
 なお、先の「捏造」を含むというのは、全面的に捏造かどうか確認していないからである。ただし、確認するつもりもない。それは吉田氏のライフ・ヒストリーを詳細に検討しなければならないからで、そのような関心はない。
3.
 私は吉田の文献が取りあげられたことは、上野千鶴子はじめ「フェミニズムの乱流」が「慰安婦」問題に介入したことと連動していると捉える(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社、一九九九年、三五〇頁以降)。前者は虚偽で、後者はレトリックであり、事実・史実をないがしろにする点で、五十歩百歩である。
 「フェミニズムの乱流」に関しては、2013/09/08のブログを参照。
「慰安婦」の認識のために―日本「フェミニズムの乱流」や知の退廃を乗り越えて―
http://85666808.at.webry.info/201309/article_11.html
4.
 吉田の捏造に関して、彼が共産主義者であった(共産党から選挙に立候補した)という角度からも考える。寡聞ながら、朝日新聞が吉田の捏造、そして虚偽の報道を認めたが、日本共産党機関紙の赤旗が、そうしたのは、まだ知らない。
 私の学生時代の経験も踏まえて(その一部は『アイデンティティと時代』で述べた)、共産主義者について言うならば、極めて真面目な勉強家(赤旗を毎日熱心に読んで赤い傍線を引いて、スクラップするなど)もいれば、それを人に語り、押しつけたい説教屋、説教などにより自分は人の上に立っているという優越感を得たい威張り屋、その延長で左翼や党内でのし上がりたい野心家などもいる。そして、共産党の文献のみならず、マルクス、エンゲルス、レーニンなどの文献も雄弁で、自分たちは無謬で、他は間違いだらけと批判するので、野心家から真面目な勉強家まで、自分たちの言動を絶対化し、その絶対的な思想、それを実現する目的のためなら手段を選ばないとなる。真面目の固まりのような学生党員が、学生自治会の選挙で、開票前の投票箱を開封したのはその一例である(『アイデンティティと時代』pp.118-119、その後、補強の情報も入手)。
 「権威主義的パーソナリティ」(フロムやアドルノ)、「組織のなかの人間」(ホワイト)とも言い換えられる。私は学生時代に「査問」され、「離脱」して、ほんとうによかったと再確認している。
5.
 朝日新聞は二日連続で紙面も4つ以上使って「慰安婦」問題を特集したが、その中で吉田捏造関係はごく一部である。初日(5日)の一面では編集担当杉浦信之の「慰安婦問題の本質 直視を」の見出しの評論記事が押し出されている。
 あたかも煙幕を張るごとき姑息な手段で、虚偽の報道を認めている。このような姿勢では、どれほど反省しているかと問わざるを得ない。
 そして、朝日新聞の紙面や関連メディアで登場した、所謂「知識人」も同様である。
 これは、知の退廃を乗り越えるメディア・リテラシーの課題と考える。
6.
 以上、要点を列記してきたが、それぞれ異なる領域の異なる問題である。それが「慰安婦」を軸に絡まっている。問題の根深さが分かる。

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