皇軍と中国共産党軍の奥深い繋がり 「両面工作」の交錯 「肉体」と心のデモーニッシュな交わり

1.
 「肉体の悪魔」では、主人公の「私」=佐田と俘虜の女性兵士の張沢民との「肉体」と心の交錯や葛藤を軸にストーリーが展開している。彼女は共産党の工作員と怪しまれるが、驚くほど自由に行動し、優遇されている。
 張沢民は、最初は看護婦と自称するが、佐田と親しくなると「河北省清豊県の女子師範の学生」だったが、盧溝橋事件が勃発し、日本軍が「郷里まで進出して来たので、民族的憤激に燃え」、「急進的な教師につれられて大行山中に分け入り、八路軍に参加し」、「晋冀魯豫辺区(中国共産党の解放区、抗日戦争根拠-引用者注)地政府教育庁にはたらいていた」などと、彼女「自身の口から自然に」話した(二八頁)。
 しかし「民族的憤激に燃え」、さらに共産主義を信念とする党員が「自然」に自分の経歴を語ることは考えられない。しかも佐田は、異民族の侵略者、帝国主義の敵である。その経歴が事実か、偽りかに関わらず、いずれにせよ意図、策略があるからこそ、敵に知らせる。革命家は全生涯を革命に捧げるのであり、日常生活の隅々まで革命的であらねばならない(毛沢東、レーニン、スターリンの指示はそうである-彼等が私生活でどうであったかはここでは取りあげないが)。
 張沢民が佐田と交わり、「大行山脈の峻険を日に十里の行軍をすることができる(略)筋肉の十分に発達した四肢が慾情にわなないて、のた打ちまわる」ことも(三八頁)、その時はエクスタシーで意図も策略も忘れても、そのように日本兵と交わることが意図であり、策略であると言える。即ち、日本兵を心底からシッカリと掴み、籠絡することである。
 勿論、たとえ強固な革命思想を持っていても、強烈な快楽を共にすれば葛藤する。それが「ノート」に「生き方」や「環境」に関して「落伍者」、「堕落」と「大分悩んでいる」という記述になって当然である(三九~四十頁)。なお、彼女は「ノート」どころか「机」まで持つほど優遇されていた。
2.
 部隊には陸緑英という、共産党員の「女区長」で俘虜になったが、「これもその点はぼかしたままで(略)一緒に仕事をしていた」者がいる(二七頁)。やはり、分かっていながら中国共産党員を「泳がせ」て利用していたと睨む。敵(蒋介石の国民党軍)の敵は、身方でなくとも、利用できるからである(身方、同志と思う者も密かにいたが、これについては次回)。そして中国共産党もそれを知りつつ工作している。特務機関の最前線で「両面工作」(先述)が交錯している。
 そして、先述した張と佐田が激しく交わった、陸は「隣室」にいて、それを「わかっていたと思う」が、翌朝「いつものように何喰わぬ顔をして」挨拶した(三九頁)。しかし、共産党員が、同じ共産党員が敵の兵士と「のた打ちまわる」ように強烈な性交をしながら、それを黙認・追認することは考えられない。勿論、俘虜の立場で敵の佐田を非難することなどできないが、張に対しては違って当然である。しかしストーリーから、それは読みとれない。
 むしろ、張が確かにスパイとしての任務を遂行しているか-敵を籠絡させるためにこの上ない絶頂に導いているか-を冷静に監査していたと解釈する方が妥当と言える。それは性愛さえも階級闘争の手段としたことである。まことにデモーニッシュであり、「肉体の悪魔」のとおりである。
3.
 性愛が階級闘争、そして政治の手段とされることは、野心を達成する政略結婚として歴史を通して実践されてきた。そして、祖国が危急存亡の危機にあって、それを利用しないはずはない。
 これに加えて、東洋的専制の中華帝国では、中国共産党、人民解放軍においてさえ見られる。張は、佐田に対して「理路整然と中国に於ける女性の解放を論じた。毛沢東の階級的恋愛を論じた。そうかと思うと、軍隊出の老幹部の無骨な、けれどもそれだけに微笑ましい素朴な恋愛を論じた。中共では結婚は同じ政治意識の水準にある党員同志でないとゆるされぬそうであるが、政治意識の低い水準にある軍隊出の老幹部たちは若い恋人と結婚するために、その恋人からマルクス理論の手ほどきを受けようとする、--それを意識的に利用して老幹部の政治的水準を高める恋人役の若い女性の革命的役割を論じた」と記されている(四五頁)。
 しかし『中国低層訪談録』(集広舎)の「辺境守備開拓団女性兵士の息子 劉思湘」の証言する新疆ウイグルに進駐した「女性兵士」の実体を踏まえると、「政治」、「革命」、「毛沢東」、「マルクス」、「階級」等の言葉を使って、「老幹部」が「若い恋人」を得て「結婚」すること、また「若い恋人」はそれにより「老幹部」と同じ権力を手に入れることを飾っていると言える。
 毛沢東は公式に認められるだけで四回結婚し、劉少奇は六回結婚した。それ以外の性生活は、寡聞にして知らないが、そのように結婚を繰り返す者が節操を保っていたとは考えがたい。
 その上で、注目すべきは、女性もそれを承知で「老幹部」など地位の高い者との結婚を足がかりにのし上がろうというところがあることである。これは今日でも続いており、腐敗した貪官汚吏が数十人も妾を抱えているという告発が後を絶たない。貪官汚吏の慾望には若い女性の野心が相関している(相互主観性の堕落したデモーニッシュな現象形態)。
4.
 以上から「肉体の悪魔」にはリアリティがあり、これにより、田村が意識したか否かに関わらず、皇軍と中国共産党軍の奥深い繋がりまで伝えていると言える。このようにデモーニッシュな世界で、皇軍兵士は戦ったのである。

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