大阪朝日、上海戰線、支那亊變画報の写真を総合 全否定は信じ込みの対極、同レベルで克服すべき

1.
 一九三七(昭和一二)年一二月二五日付「大阪朝日新聞」五面の記事は、これまでも取りあげた。
その中の五つの写真のうち、二つは昨日のブログで紹介した『上海戰線』(一九三八年)と同じに見える。両者の説明を合わせると、
「南京陥落後旬日にして、早くも平和の曙光に恵まれた市中では、皇軍将士と玩具を弄んで戯れる支那の子供達や、無心にも戦場の跡に笑い興ずる幼童の姿に、春の歩みをきくことが出来る(写真上下とも十二月二十日撮影)」(『上海戰線』)
「玩具の戦車で仲よく子供たちと遊ぶ兵隊さん=背後右の隅にはそのままになっている防空壕が見える=中山路にて」、「戦火を全くおさまって、壊れた馬車で嬉しそうに遊ぶ支那の子供たち=住宅街にて」、「南京にて林特派員撮影」(「大阪朝日新聞」)
となる。
 時間と空間と主体(撮影者)が特定でき、信頼性が高まった。また「大阪朝日新聞」でも「避難民区」と表記されており、一時的な対策ではなかったことが窺える。
2.
 「大阪朝日新聞」では「わが軍衛生班の診療=避難民区にて」と衛生隊の写真も掲載され、昨日紹介した『支那亊變画報』一九三八年一月十一日号の写真とは異なる。これも衛生隊の活動の信頼性を高めている。
 この南京の「避難民区」は、上海南市のフランス・カトリックのジャッキーノ神父を中心とした「難民区」、また小学校内に開設された「婦女子収容所」と合わせると、日本軍の行動を侵略だけに単純化できないことが分かる。「難民区」と「婦女子収容所」については、以下を参照。

2013/10/20
上海戦から南京戦、そして戦後、列強の租界がなくなったことに関して 世界史的観点から
http://85666808.at.webry.info/201310/article_12.html

2013/10/19
南京に渦巻く暗黒において一筋の光輝を見る思い―宮崎有恒憲兵大尉―
http://85666808.at.webry.info/201310/article_11.html

3.
 他の二つは「平和の光を讃えて支那人教会から漏れてくる賛美歌=寧海路にて」と「路上で支那の子供と筆談しているわが勇士達」で、しかも「兵隊さん」は「丸腰」だという。
 また写真の下の記事では「太平路方面の貧民たちが空家になった住宅街の堂々たる大邸宅に入り込んで一生一代の豪華な生活をひらめかしているのも支那風景だ。皇軍の難民救済に米やミルク、煙草を支給する仁慈に有頂天になって家賃の五百円もするような大邸宅から襤褸で包まれた難民が五、六十人一組になって続々蟻のように出てくる光景を、みなさん想像して下さい」と述べられている。
 これまでも繰り返し述べてきたが、日本軍の侵攻・進駐に伴い、国民党軍のみならず高官や特権富裕層も撤退し、民衆が台頭したのである(その背後で中国共産党が地下工作)。そこには民衆の「解放」の性格もあった。
4.
 たとえプロパガンダの性格が強くとも、全否定すべきではない。そのような態度は、国外の情報を崇め、自己卑下する日本的なコンプレクス/ハビトゥスの所産と考える。
 それは一時、日清戦争、日露戦争、第一次大戦と勝利国となったため、反作用で自惚れて増長したが、第二次大戦で敗北し、再び現れた。当時の報道を「大本営発表」と全否定し、省みないのは、その一例である。これは信じ込みと対極で、同じレベルである。
 多角的重層的に考察し、どこまでプロパガンダであり、事実として、或いは教訓として注目すべき点はどれかを分別しなければならない。

"大阪朝日、上海戰線、支那亊變画報の写真を総合 全否定は信じ込みの対極、同レベルで克服すべき" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント