慰安婦と日本兵の愛と死-知の頽廃8 グループ・ダイナミクスからヒストリカル・モメントへ

 以上は私の参与観察(participant/participatory observation)であり、私がマージナルなところに置かれたのでひがみがあるのではないか、だがマージナル・マンは積極的な役割を果たし得ると自己分析しつつ、論証を補強していく。それは小集団のグループ・ダイナミクス(力学)をヒストリカル・モメント(歴史的回転の力学)へと発展させる作業である。

半世紀後の「見田さん」、及び朝日新聞について考える

 「朝日新聞」二〇一六年一月二六日夕刊の「(人生の贈りもの)わたしの半生・社会学者・見田宗介・7・78歳」では、「一九七三年から四年近く、主にインドや中南米を放浪したのですね」という質問に、「見田さん」は「全共闘と議論しているとき、僕が基本的には擁護していた近代世界というものを一度離れ、相対化してみたいと考えました」と述べている。
 「全共闘と議論し」たと、「見田さん」は言うが、「放浪」の合間のゼミでは、先述したように彼は寡黙であった。そして語られざるご意向を側近が代弁し、その外側に彼を憧れ慕う女官が控え、さらに外側で信者が傾聴しているという状況であった(私は最も外側で参与観察)。私が聞いた限りだが、「見田さん」が「近代世界」を「基本的には擁護して」いると明確に述べたことはなかった(著書や論文では巧みにアリバイづくりで近代世界を擁護しているが)。
 当時、彼を崇敬しつつ慕う全共闘とシンパは「見田先生」と呼ぶこともあったが、しばしば「見田さん」と呼んでいた(仲間内では「見田さん」のみ)。このような学生に「近代世界」を明確に「擁護」したら、多くは離れただろう。全共闘のキーワードの一つに「情念」があり、彼の他に吉本隆明や谷川雁が人気を博していたのは、そのためであった(この三人の中で私は谷川に注目)。
 「近代」には合理的な組織、システム、制度、管理が不可避で、それらを否定しようと「大学解体」や「コミューン」が打ち出されていたのである。全共闘が流行していた時に、口数少なく明言しなかったが、半世紀を経て全国紙で公然と明言することはどうなのか?


 「見田さん」は「ラテンアメリカでは、人がロマンをキチンと生きているのです。現実と夢が重層的で、人生を味の深いものにしている」と述べている。
 確かにゲバラやフレイレには革命とロマンが認められるが、同時に凄まじい支配、抑圧、暴力、貧富の格差、マフィア、麻薬等々の「重層的」問題への対決もある。これは今もなお解決していないほど根深く深刻で重大である。
 ところが、授業でも、著書、評論、エッセイ等々でも、その問題意識は認められなかった。半世紀後の発言は、この証明となる。
 それ故「放浪」と言うが、実態はお坊ちゃんの遊学であったと言える。
 一九七三年から「放浪した」という時間に注目すると、ゲバルト=暴力の激化の帰結たる一九七二年の連合赤軍リンチ殺人事件、あさま山荘事件の一年後である。彼は大学教員であるから、いきなり校務や授業を放り出して「放浪」することなどできない。実際、彼は東大助教授のポストを保持していた。このことは、「見田さん」が大学当局に申請し、教授会などの承認を得て「放浪」したことを意味している。
 以上を組み合わせるとゲバルト=暴力に賛同していたことが問われないように一時的に国外に逃避したという解釈が導き出せる。
 さらに、ずっと東大助教授のままであったから給与を支給されていたはずである。それで「放浪」とは、まさに「よく言うよ」と驚き呆れる。苦労知らずのお坊ちゃん故の厚顔無恥と言える。

 さらに、この紙面は、全共闘のゲバルト=暴力をカモフラージュし、それにより、かつて全共闘を肯定的に報道した「朝日」の責任追及を起こさせないという機能を果たしている。確かに「朝日新聞」では控えめだが、『週刊朝日』、『朝日ジャーナル』、『アサヒグラフ』では積極的な記事がある。その写真の中には、まことにカッコいいのもある。
 朝日新聞は慰安婦をめぐる報道だけでなく、新左翼・全共闘に関する報道でも反省・謝罪が必要である。

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